そして、かなしろさんはリュウ太君が16歳の時、お金がないふりをして、友人が営むラーメン屋でのアルバイトを勧める。リュウ太君は、初めて社会に出ることとなる。一般的に発達障害者はワーキングメモリ(情報の一時保存と活用)が低いが、その特性を理解してもらった上で、将来の就労に向けてのアルバイトを開始する。
この経験がリュウ太君を大きく成長させる。ワーキングメモリが低いリュウ太君は、やることが5つ以上重なるとフリーズしてしまう。そんなときは動きが止まるか鈍くなっていることも店長さんより指摘され、自分が混乱状態だと分かるようになる。そして、リュウ太君は実際に働くことを通じて、どうしたらそんなときに気持ちが落ちつくかという解決法を編み出す。
子が障害を持っていると、子どもに対し過保護になって、何かを経験させることに対し、臆病になってしまう親御さんも多いと思う。しかし、「かわいい子には旅をさせよ」と昔から言うが、時には、乗り越えるすべを子ども自身が身に着けられる場に思い切って出すことは、とても大切だと感じた。親だけで問題を抱えるのではなく、世間の荒波にもまれ、身に着けられることは貴重だし大きな体験だ。
(画:かなしろにゃんこ。)
こういった小さい頃からの積み重ねにより、リュウ太君は自動車整備士になるための専修学校をスムーズとはいかないながらも卒業した。整備助手としてアルバイトをしながら、自動車整備士の国家資格を取得し、整備士として就職を果たす。就職活動のくだりで感じたのは、いわゆる定型発達といわれる人にとり「当たり前のこと」でつまずいてしまうのが、発達障害者の就職活動であり、就労なのだということだ。「報・連・相」などは社会人として働くうちに自然に身につくだろうと思ってしまうが、親や支援者は過信せずに丁寧に教える必要があると感じた。