「しょうがい」をどう捉えるか? 医学モデルと社会モデル、そして相模原障害者施設殺傷事件

コラム

「しょうがいしゃ」という言葉を見聞きしたことがないというひとはおそらくいないと思う。
だけどそもそも「しょうがいしゃ」とは、「しょうがい」とはなんなのかと問われると、その答えや立ち位置は一定じゃない。なぜならこれは、「価値観」(世界観)の問題でもあるからだ。

 

とはいえ今の日本でいちばん一般的な表記は「障害(者)」だと思う。
そしてこの「害」という表記には、「ダメージ」というような意味があるというのは納得してもらえると思う。
つまりここで言う障害者とは、「(先天的あるいは後天的に)ダメージを受けたひと」という価値観を反映している。
だからこれは、「病人」のイメージに近しい。
ただ障害者は単なる「病人」に比べて、基本的に「治りづらい、あるいは治らないダメージ」を抱えているひととして想定されている。
そしておそらくこういうふうに説明すると、ほとんどの日本人には共感してもらえるんじゃないかと思う。
そしてその捉えかたが、無意識にでも「障害者」という表記にも反映されているというわけだ。

 

でもこれは別に日本人に限った話じゃなく、世界的に共通してると言ってもいいと思う。つまりこれがそれだけ「伝統的な捉えかた・観点」だってことなんだけど、これもほんとは「あるひとつの観点」でしかない。そしてこれには今、「医学モデル」(医療モデル・個人モデル)という名前もついている。これはすごくざっくり言っちゃうと、「しょうがいを『本人のダメージ・苦痛』として捉えて、それを医療的・個人的課題として克服しようとする」というような見かた・モデルだと言ってもいいと思う。

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