孤児たちにとっての戦中戦後 ~毎日のように餓死者が出ていた。京都・伏見寮をさがして~

お知らせそのほか

終戦から75年の月日が過ぎた。8月に太平洋戦争を取り上げたテレビ番組をごらんになられた方も、多いことだろう。
今年は戦後75年をむかえたということで、近年ローマ教皇によって取り上げられ世界中から注目された写真をテーマにしたETV特集「“焼き場に立つ少年”をさがして」など数々の太平洋戦争に関するドキュメンタリーが放送された。
いまの京都大学で兵器開発にたずさわる青年たちを描いたドラマ『太陽の子』は、残念ながら放送前に亡くなられた三浦春馬さんが出演されたということもあり大きな話題になった。こうした報道が多かった一方で、先の戦争・終戦直後を生き抜かれてきた方の話を聞ける番組は(はっきりとした数字は出せないものの)これまでより少ない印象を筆者は受けた。
ところで、自分がいま住んでいる町が先の戦争でどんな被害にあったのか、戦後復興で先人がどんな苦労をされたのか、ごぞんじの方はどれだけおられるだろうか。フリーライターの私も、知らなかった伏見寮 こうして文章を書いている私も、自身の地元・京都市伏見区が先の戦争でどのような影響を受けたのか詳しく知っているわけではない。

 

筆者である私・金子あつしは、視覚に障害があるフリーライターである。これまでに風疹をテーマにしたノンフィクション『風疹をめぐる旅~消される「子ども」・「笑われる」国~』、ダウン症の妹がいる「きょうだい児」の小学生が主人公の児童書『ひかりあれ!~二分の一成人式の前に家族について調べてみた~』を発表している。
編集者として、明治から平成まで100年をこえる生涯をおくった女性の一代記を編集してもいる。また何か仕事の参考になればと、太平洋戦争をテーマにしたドキュメンタリー作品を見ることも多い。

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