異様な空気を放っていた「いろは会商店街」
山谷には「いろは会商店街」という大変長い商店街がある。1970年代の写真を見るとずいぶん賑わっているが、それに比べて2000年頃はシャッターを閉じた店も多かった。周辺ではホームレス同士、花札で賭けをしている姿もよく目についたのだが、話しかけると、「見てんじゃねえ」「あっち行けおら」「どらぁおらぁあ」と恫喝されることも多かった。近くには「マンモス交番」と呼ばれる山谷地区交番(現・日本堤交番)があるのだが、賭け花札は無視しているようだった。
なお、マンモス交番という名前は、マンモスのように大きい交番という意味から来ている。後述する要塞のような西成警察署と比べると小さいが、地上4階建てで建物内に駐車場付きのため、交番レベルの建物ではない。この交番は1959年に、山谷地区の環境を浄化するために建てられた。警視庁のホームページを見ると、「交番では、喧嘩や酔っ払いの保護取扱いが多いです」(2020年4月時点)と書かれてある。以前、この交番ができて間もない頃の写真も見たことがある。当時は、ドヤ街は血気盛んで何かあれば暴動に発展しかねないピリピリした空気があったという。1960年の写真では、警察の周りを労働者たちが取り囲んでいた。10、20人のレベルではなく桁が1桁、もしくは2桁違う。吉野通りが人で埋め尽くされるほどだ。こんなにもたくさんの人がいて、こんなにも活動的だったんだ、と驚いた。
いろは会商店街はアーケードがあって雨風に当たらずに済むためか、夜には多くのホームレスが布団にくるまって寝ている光景が見られた。商店街の入り口に酒屋とお酒の自動販売機があり、そこで酒を買って飲み、泥酔している人が多かった。カップ酒を飲んだ酔っ払いが床にコップを叩きつけて割るので、そこら中ガラスだらけになっていた。第1章でもホームレスにアルコール依存症の割合が少なくないことに触れているが、ドヤ街にいるホームレスはとくにお酒を飲むことが好きである。そして、飲んで仕事を飛ばしたり、酔っ払ったまま仕事に行ったりした結果、手配師から声がかからなくなったといったように、酒のトラブルが発端となってホームレスになったと明かす人も多い。
なお、いろは会商店街の酒の自動販売機はかなり前に撤去されたし、2018年には商店街全体のアーケードも取り外されてしまった。商店街で寝るホームレスはめっきり減ったが、陽光にさらされたシャッター商店街はなんだか、以前にも増して白々しいような雰囲気になっていた。
(以上、5月28日刊行『ホームレス消滅』(幻冬舎新書 村田らむ)https://www.amazon.co.jp/dp/4344985931より)