多摩川の河川敷で夫婦で暮らすホームレスにインタビュー。仕事、電気、畑を持っていても、それらは一瞬でなくなってしまう。

六郷土手駅から多摩川河川敷に向かうと、ゴルフ場がある。利用者は多く、クラブでゴルフボールを叩く、カーン!! カーン!! という音が響き渡っている。

そのゴルフ場を通り過ぎて川に向かって歩いていくと、「道」を発見する。公にアスファルトで作った道ではなく、何度も誰かが歩くことによってできた道だ。
少し緊張しながら足を踏み入れていくと、いくつものホームレスが住む家が並んでいる。
キャンプのテントのようなものもあるが、多くは木で作られた小屋だ。ホームレス生活をしている人たちの中には、大工や、鳶職など建築業者に携わっていた人が多いので、とても器用に家を建てる。
家は綺麗でも、家の周りは散らかっている所もある。金属回収で生計を立てている人が多い。だいたいはアルミ製の空き缶を拾ってきて換金しているが、中には銅を集めている人もいる。銅はアルミよりもかなり高いが、だがそうそう捨ててあるわけではない。
工事現場に置いてあるコードリールなどをパクってくる人もいる。コードリールのママは買い取ってもらえないので、コードのビニル外装を剥ぐ。その剥がされた外装が山程捨てられていたりするのだ。

大量のカップ酒の空き瓶で作った竈(かまど)もあった。ガラスの瓶なんて、そんなに竈に向いているとも思えないのだが、でも見た目はなんともかっこいい。

ふと見ると、テーブルを囲んで男性4人がカードゲームをやっていた。
まだ時間は昼過ぎだが、全員目が真剣だ。見れば、テーブルの上には100円玉がうず高く積まれている。
「お話うかがえますか?」
と聞くと、
「うかがえるわけねえだろ」
「あっちいけ」
とけんもほろろに追い払われた。

まあそりゃそうだわな、と肩をすくめながらより深くに進んでいった。
建ち並ぶ家の中でも大きくて立派な小屋の前に椅子を置いて座り、木を組み合わせて何かを作っている60代後半のおじさんがいたので話しかけてみた。
「俺はここにもう10年くらい住んでるよ。俺は空き缶はやってない。ここに住んでる人のほとんどが空き缶をやってるけどね。自分の場合は、週に3回くらい川崎の工場で働いてるから」

ホームレス生活をしている人でも、廃品回収以外で収入を得ている人はいる。例えば、建設系の日雇労働の飯場に入って働く人は多い。何でも屋に雇われて、チケットや花見の場所などの並び屋をすることもある。
だが、定職についている人は珍しい。
「まあでもまともに働いてる人もそこそこいるよ。10人のうち……2~3人くらい? 俺もまあ、ギリギリまともかな、はっはっは」
と笑う。
「10年前はもっと大きな会社にいたんだよ。会社が潰れちゃってね。転職しようと思ったけど、50歳超えてたからなかなか仕事は見つかんなくてね。臨時の日払いの仕事に移行したんだ。収入はかなり減っちゃったけど、いたしかたない」
ただ減ってしまった収入では、今まで住んでいたアパートに住み続けるのは厳しかった。
「で、その時にここいらに引っ越してきたんだよ。たまたま知り合いがここらに住んでたんで、住めるって知ってたんだよ」
多摩川に人が住んでいるのを知っていたとしても、実際に引っ越してくるとはなかなかすごい。
ただギリギリまで追い詰められて河川敷に逃げてきたというわけではないので、お金や物品はある中で生活をはじめられたという。
「まあ娯楽はないけどね。どうにか生活できるよ。楽しみったら……そうね畑くらいかな?」
おじさんの指の先には2面の畑が広がっていた。マンション生活していたらなかなかできない贅沢なガーデニングである。

「花なんか育てたって仕方ないから、食べ物しか植えないよね。こっちの畑にはロープを張って、枝になるヤツを育ててるの。キューリとか、ゴーヤとかね。であっちの畑は、大根とか根菜。
その隣は、近所のアパートに住んでる人が耕してるね。生活保護もらってる人。まあ人に迷惑かけなきゃいいよな」
まあ僕も問題ないと思うけど、ただ公的機関に文句を言われそうな気がする。
「国土交通省や役所もくるよ。一応は説得してくるよ。生活保護もらって引っ越しませんか~? とか。まあ笑って、考えとくよって言うと、それ以上は言ってこない。
10年くらい住んでるんだけど、家を長くは空けたことないの。1ヶ月も2ヶ月も誰も住んでいないってなると、勝手に取り壊されることあるんだよ。出張で飯場とかの仕事に入る人は、近所の人たちに『役所の人間が来たら、しばらく出稼ぎに行ってるって伝えてくれ』って伝えておかなきゃいけないね」
役人も、いざ取り壊すとなると経費もかかるし、問題も起きるし、わざわざやりたくはないんじゃないかな? とおじさんは付け加えた。

しかしそれにしても立派な家だ。
僕は取材当時は8畳の1Kのアパートに住んでいたが、ずっと大きかった。
「電気はあるんだ。発電機を置いてるからね。テレビもあるし、電子レンジもあるよ。冷蔵庫はずっと電気をつけていなくちゃいかんから、持てないね」
と言う。驚いているとさらに、もっと驚く情報を聞かせてくれた。
「実は一人で暮らしてるんじゃねえんだ。3~4年前にどっかのババア拾って来て一緒に住んでんだよ、はっはっは」
と楽しそうに笑う。
「うちのババア、道楽がねえから毎日、銭湯行ってるんだ。風呂屋の客みんなと知り合いになっちゃってさ。『今日はあの人が来るから行かなくっちゃ』だってさ。参っちゃうよ。俺も楽しみはないからさ。こうやって、昼間から酒をちびちびと飲んでいるわけだ」
と、酒の入ったグラスをひょいと上げた。
ちなみに、今日は午前中は工場の仕事で、帰ってきた所だそうだ。労働後の酒と煙草は何より美味いそうだ。
「まあその日暮らしだけどね。もう70前だけど、それでも地道にやれば田舎に帰れるからね。あ、俺、年に一回は、田舎に帰ってるんだ」
そう言えば僕はもう3年くらい実家に帰っていない。毎年帰るとはなかなかちゃんとしている。田舎の場所はどこだか聞いてみる。
「沖縄だよ。いや遠くないよ(笑) 飛行機乗りゃ1~2時間だ。ここからは羽田空港も近いからさ。
まだお袋も兄弟も全員元気だから。一ヶ月も電話しないと向こうから、必ず電話がかかってくるんだよ。心配症だよ」
と言うと、胸のポケットから携帯電話を取り出してみせた。
今までに何百人ものホームレス生活をしている人に話を聞いてきたけど、おじさんほど楽しそうに生きている人もいなかった。

また話を聞きたいなと思っていたのだが、残念ながら2019年10月に発生した巨大台風のおかげで村は完全に水中に没してしまった。
台風の後、足を運んでみたが、とても人が住めるような状況ではなくなっていた。
おじさんが今どうしてるのかは、知りようがない。東京でも沖縄でもいいから、楽しそうに生きててくれればいいが、と思う。