ホームレスが生活保護により野宿生活を脱しやすくなったのと並行して、徐々にホームレスは都市部から排斥されていった。
昔は、上野公園や渋谷の宮下公園や新宿駅西口など、都市部のど真ん中に小屋を建てたり、テントを張って生活している姿をよく目にしたが、最近では見られなくなった。
「生活保護をもらわず、野宿生活を続けて自活していきたい」
と考える人たちにとって、多摩川などの河川敷は最後に残された場所になった。大都会ではないが、周りには住宅街やマンションがあり空き缶を集めることができる。。
彼らは堤防の上や河川敷の葦の中に小屋を建てたり、畑を作ったりして生活している。河川敷は管轄が国土交通省になるためか、駅や公園に比べると、比較的管理がゆるい。もちろん苦情が出ると警察が出動するが、住宅街とは離れた場所にあるため苦情が出づらい。
それでも、たびたび役所の人に『不法耕作禁止』と書かれた看板を立てられたり、立ち退くよう勧告されることはあるが、実際にはまず排除されることはない。
僕は多摩川河川敷の下流、六郷土手のあたりを取材することが多かった。昔から多くのホームレスが生活していたからだ。
2019年の超大型台風で水没し、住んでいる人は減ったが、それでもまだ生活している人はいた。
多摩川は、東京都大田区と、神奈川県川崎市の間を流れている。
つまり今回の『アルミ缶の持ち去りを防ぐ条例』は、多摩川河川敷に住むホームレスの生活に直撃するのだ。
川崎がダメなら大田区側に移り住めば良い、というほど単純なものではないだろう。そもそも金属の買い取りをしている業者に対して圧力がかかってしまったら、どうしようもない。そしていつの日か、全国で『アルミ缶の持ち去り』が厳罰化されていく可能性は十分あるある。
ホームレスに対してあまり良く思っていない人は
「今までが甘すぎたんだ。これで良かった」
などと言って笑顔で満足するかもしれない。
たしかに、ゴミを持ち去るのは犯罪かもしれない。年間合わせれば、それなりの損害が出ているかもしれない。ただ、
「それぐらい良いじゃないか」
って話である。
「生活保護をもらわず、野宿生活をしたい」
と思っている人は、素晴らしい行いをしているわけでもないが、別に大悪人というわけではない。客観的に見たら、どう考えても弱い者いじめをしているようにしか映らないだろう。
そして、ホームレスに対して辛辣な意見を言う人の話を聞いていると、
「自分だっていつかホームレスになるかもしれない」
という発想は全くないんだな、と少し驚く。
現在仕事が上手くいっていたり、屋根がある場所で寝られているのは、概ね運が良かったからだ。努力による部分なんて、本当に本当に小さなものだ。
逆に運が逃げてしまえば、全てを失って、路上生活をしなければならなくなる可能性は十分ある。僕は自分がホームレスになる可能性は十分にあると思っている。
だから、良い人ぶって上から目線で
「ホームレスが生きていくために、空き缶を拾うのは良しってことにしてあげようよ」
と言っているのではなく
「ホームレスになった俺が生活していくために、空き缶拾いを良しってことにしておいてくれ」
と言っているのだ。