発達障害当事者 虐待・いじめサバイバー
生きづらさを抱えている人の交流会あずさの会代表
上村聡美さん(うえむら さとみ 56歳)

田口 幼稚園以降も続いたのですか?
上村 小学校2年くらいまでかな?
田口 なぜ妹さんと差別的に扱われたのでしょう?
上村 母曰く、私が最初は優しかった父に懐いていたからだそうです。だから、私は「父の子供」。妹は「母の子供」。私が生まれたために、「あの男(父)と別れられなかった」と言われました。
田口 お父さんと別れられなかったのは、お母さん自身の問題ですよね?
上村 ですね。私に発達障害があることもあって手間もかかったらしいので、それもストレスだったかも。母自身の問題ですね。
田口 今考えると妹さんには発達障害はなかった?
上村 多分・・・。妹が中学生の時に、親が離婚してその後会っていないので、何とも言えないです。
田口 そうですか。よく生きていましたね。私も中学校の頃、外見のことで壮絶ないじめにあったことがあります。親には言えませんでした。ですが、私は毎日、いつでも死ねるようにカッターを枕元に置いて寝ていました。そうやって精神を保っていました。耐えきれなくなったら、いつでも死のうと。
上村さんはどうやって死なずにいられたんですか?
上村 やっぱりカミソリをぎゅっと握りしめて、気持ちを落ち着かせていました。
田口 いつでも死ねるって思いながら?私は書いていて、涙が出てきてしまいました。
上村 いつもどうやって死んでやろうかと考えてました。
田口 そのいじめは学生時代、ずっと続いたのですか?
上村 高校が一番ひどかったですね。大学でもいじめはあってました。
田口 辛いと思うのですが、具体的にはどんないじめでしょうか?
上村 無視、仲間はずれ、悪口、小学校では、床に押さえつけられる。「お前が悪い」と繰り返し言われるなどです。
田口 その時も親御さんは無関心だったのですか?
上村 はい。
田口 救いがないですよね。その時代は発達障害っていう概念自体がなかったと思うのですが、上村さんは自分に対するいじめはどうしてだと認識していましたか?
上村 自分は憎まれるために産まれてきたと思っていました。親からは馬鹿だと言われていたし。
田口 その中で神への信仰に目覚められた?
上村 高校がミッション系だった事もあって、聖書は読むように言われていたし。礼拝堂がほんとに一番落ち着ける場所でした。
田口 信仰がよりどころだったのですね。
上村 そうですね。他に心寄せられるものがなかったので。教会でも浮いていたけど、聖書に書かれていた事は、心に入ってきました。
田口 社会に出てからはどんな暮らしでしたか?
上村 病院で一年だけ、看護助手として、勤務しました。足立区にある大きな病院でした。教会関係だったので、礼拝にも参加していました。
田口 やめることになった原因は何ですか?
上村 不適応です。人間関係はボロボロでした。解雇されたんです。
田口 そうですか。ご主人と結婚されたのはおいくつの時でなれそめは?
上村 共働学舎にいた時なので、27歳の時です。彼は北海道のメンバーだった。信州に移動してきた時に意気投合しました。
田口 ご主人は生きる希望になりましたか?私は上村さんが何に希望を見出して、サバイバーとして生きていらっしゃるのか知りたいです。自殺してもおかしくない人生だったと思います。
上村 主人は初めて自分を受け入れてくれた人です。信仰に希望をおいています。神様は裏切らない、いつでも側にいて守ってくれる存在。大きな力に守られている感じがします。
田口 大人になった今、同じような環境で苦しんでいるお子さんたちに何と伝えたいですか?虐待事件は後を絶ちません。上村さんのような養育環境で苦しんでいるお子さんはたくさんいると思います。
上村 頑張らなくていい。つらい時はつらいという気持をどんな形でもいいから発信して欲しい。今なら助けてくれる大人が、周りに大勢いる。大人の関わりも重要だと思います。
田口 上村さんの場合、そういった大人は周囲にいましたか?
上村 ダメな子、手間がかかる問題児だったので誰もいなかった。
田口 それでは人間不信になりますよね。ごく自然だと思います。
上村 大人になってから、理解者が増えました。時代かな。
田口 時代は大きいですね。今、上村さんの理解者はどんな人たちですか?
上村 教会の人達、当事者仲間です。
田口 それは「発達障害あるあるラボ」メンバーも含めて?
上村 そうですね。
田口 やはりそういった「場」は大きな支えになるのですね。
上村 そう!「場」は大事。家庭も含めての「場」が大切。次回はリカバリーへの希望
③みんな違って当たり前。違いを認めてくれる人。
※内容は取材当時(2019年9月)

