今回は、漫画家でADHDの息子のリュウ太君の成長と育児奮闘記を描いているかなしろにゃんこ。さん(51歳)にお話をうかがった。緊急事態宣言の発令を受けて、オンラインでの取材となった。画面越しに現れたかなしろさんは「豪快なお母さん」という雰囲気で、障害を扱った漫画にも関わらず、明るいタッチで描かれているの理由(ワケ)が伝わってきた。
著書である「発達障害 僕にはイラつく理由(ワケ)がある!」と「発達障害で問題児でも働けるのは理由(ワケ)がある!」の2冊は、アニスピホールディングス(https://anispi.co.jp/president_blog/post-3882/)とあいである広場(https://ai-deal.jp/column/post-4259/)にて漫画評も掲載しているので、是非、合わせて読んでいただきたい。発達障害当事者にも、支援者や親御さんにも役立つ内容だ。
かなしろさんは18歳のときに大陸出版社(現在はありません)からデビューし、25歳のときにバブルが崩壊。その後、大手出版社から再デビューした。今のかなしろさんの作風からは想像しづらいが、ホラー漫画やレディースコミックを描いていた時期もあった。自身もADHDのグレーゾーンで衝動性があるかもとは思うものの、生活に支障がないため、診断は受けていない。
今、リュウ太君は22歳で、紆余曲折の末、自動車整備会社で働いている。リュウ太君のADHDが分かったのは小学校4年生の時だ。それまでは普通学級に通っていたリュウ太君。支援学級・学校への転籍などは考えなかったのだろうか。
「先生に相談したところ、地域の支援学級に定員がいっぱいなので、転籍はたぶん無理ですよと言われたんですね。それなので、担任の先生が、だったら卒業までフォローするから、普通学級で頑張らないかと言われたんです。それから地域に特別支援学校が建設されました。本人は大勢の雰囲気がダメだったようで、支援学校の方がよかったみたいです」
リュウ太君は18歳のときに、特別支援学校のような(少人数の)雰囲気だったら、落ち着いて勉強できたかもしれないとかなしろさんに打ち明けたそうだ。
かなしろさんも最初から障害福祉に興味があったわけではない。
「結果的にそうなっただけです。
だけど、困ったときには行政を頼るっていうことが頭にありました。
子どもの育児と福祉って最初は結びつかなかったですね。相談すると怒られると思ってたので、足は遠のきますよね。誰か背中を押してくれる人がいないとまず頼らないですね」
その背中を押してくれた人が、かなしろさんにとっては、リュウ太君の小学校の担任の先生だった。かなしろさんは児童相談所につながった。そこで、親のかなしろさんはカウンセリング、リュウ太君は自己肯定感を育む遊びを2年受けた。
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