パワハラで鬱病を発症|元公安調査官でフリージャーナリストの西 道弘氏の数奇な半生!

インタビュー

西 道弘
公安調査庁入庁

国際テロ対策を担当しスパイ研修にも参加

 

「公安庁は公安警察と違い、法的な権力を持たないことは知っていました。ですが、少なからずCIA的な情報力は持っているであろうと思い入庁したのですが……。これを言うとヘイトスピーチになってしまうかもしれませんが、公安庁にはインテリジェンスも情報性もありませんでした。それどころか、知性というものから最もかけ離れていた」1982年、昭和の頃である。この頃の公安は、パワハラや激しいいじめが当たり前のように行われ、入庁1年目には退職の文字が頭の片隅をよぎる。

 

「庁内の雰囲気は、昭和の時代の体育会系の部活そのものです。強い者には媚へつらい、弱いものを見ると叩きのめす。知性の欠片もない無法地帯。それが当時の公安の印象です」入庁後に配属された共産党セクションでは2年間庶務を担当していた西さん。

 

「現場でバリバリ働いている調査官の中には、庶務の仕事を見下してくる人間もいました。私はそういった粗野な人間が苦手で。哀れみすら覚えました。私の態度が侮蔑しているかのように見えたのかもしれません。気づけばいじめのターゲットになっていました」激しいいじめを受ける日々が続くが、共産党セクションの上司には甚く気に入られ、可愛がってもらったのが救いになったと話す。ところで共産党セクションとは、どんな業務を行っている部署なのか伺ってみる。

 

「名前の通り共産党を調査する部署です。すなわち、共産党が暴力主義的な破壊活動を行う危険がないか調査する部署です。公安庁は今現在も、共産党を破防法に基づく調査対象団体としています。しかし、私は共産党の調査は全くの無意味だと思っています。国会で議席も持つ政党です。今更、暴力的破壊活動を起こす意味もなければ動機もないでしょう。

 

私が退職する10年ほど前に『共産党PT作業』と称する工作が行われたのですが、これがとんでもない程にくだらない作業で。党員の監視や尾行を行い、ひたすらつけ回す。常連の飲み屋から英会話教室まで。時代遅れもいいところです」これらの費用にも莫大な予算が割かれたのだという。

 

「全く持って無駄としかいいようがない。無駄といえば1998年に参加したCIA研修もそうです」共産党、旧ソ連関連のセクションを経て1996年より、国際テロ対策を担当することとなった西さんは、アメリカで行われているCIA(中央情報局)のスパイ研修に参加する。

 

「スパイ研修と聞くと、スパイ映画でお馴染みの盗撮や盗聴、炙り出し文字での密書、ゴルゴ13や007の世界を思い浮かべる方もいるかもしれません。実際はそういったイメージとは程遠いもので、情報分析レポートの書き方など、所謂アナリスト向けの研修です」CIA研修については著書「セキュリティーマフィア」(インシデンツ)にて実体験を綴っている。

 

「正直、わざわざ米国にまで行って学ぶ必要性があったとは思えません。なぜなら、私が公安庁を退職するまでに、この研修が役立つ業務はひとつもありませんでした。そもそも本来なら、CIAが日本の公安庁の研修を行う必要はないのです。この研修には、日本の情報機関のマインドをCIAに合わせること、それにより米国にとって動かしやすい機関にすること。そういった狙いがあるのではないか。そんな印象を受けました」この研修を通して、そして国際テロ調査に携わる中で、西さんは、所詮日本はアメリカの属国で下請けでしかないと強く感じるようになる。

 

「国民の税金は効率的に使われるべきです。無駄な調査や研修、スパイごっこに費やすべきではありません」こうした公安庁のやり方に疑問を覚え何度も退職を考えるも、国民の為、延いては日本の為に、公安庁を内部から変えていきたいとの想いから35年務めあげる。しかし、最終的にはパワハラが原因で鬱病を発症。退職を余儀なくされる。

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