HSPで人一倍傷つきやすかった彼女が『好きを仕事に』|歌と紅茶で幸せを届ける紅茶屋さん

インタビュー

まりのん

今回お話を伺ったまりのんさんは、歌と紅茶で幸せを届ける紅茶屋さん。ただ紅茶を販売するだけではなく、紅茶でハッピーを届けることが、彼女の仕事であり、使命なのだという。

 

『かわいくて、おいしくて、安心』をモットーとする紅茶を販売する他、紅茶の基礎知識からアレンジティーの作り方まで学べる紅茶教室や、アンガーコントロールやマインドフルネスを取り入れた紅茶セラピーの講座を開催。その活動は多岐にわたる。紅茶の楽しい世界を歌とバルーンで表現したショーは、大人にも子どもにも喜ばれている。

紅茶の世界を表現したバルーンショー

 

実はまりのんさん、日本で一番紅茶の楽曲をリリースしているアーティストでもある。“perfume”や“きゃりーぱみゅぱみゅ”のプロデューサーでおなじみの、中田ヤスタカ氏とカットアップのマエストロ、ハヤシベトモノリ氏(Plus-TechSqueezeBox)のWサウンドプロデュースでデビュー。子どもの頃から子役としてTVや舞台でも活動してきた。

 

そんな彼女が紅茶屋へ転身し、起業したのは紅茶が大好きだから。好きを仕事にするまりのんさんに、これまでの活動や今後の活動について、自身がプロデュースするノンカフェインの紅茶ブランド『紅茶の国のアリス』についてなど様々なお話を伺った。

 

今後、起業を考えている方やフリーランスとして活動したい方にも是非ご一読いただきたい。紅茶好きの方や可愛いもの、美味しいものに目がない方も必見だ。

 

愛情がほしかった幼少期。満たされない想いを抱えて

 

幅広く活躍するまりのんさんであるが、彼女の活動のその全ては、紅茶で幸せを届けることに一貫している。「紅茶と歌でハッピーを届ける、それが私のお仕事です」そう語る彼女に

なぜ、人に幸せを届けることに、こだわるのか投げかけてみた。

 

「小学生の頃、体の成長が早かったので、学年の中で縦にも横にも大きかったんです。それが原因でいじめられたりすることもあって、よく泣いていました。

 

そんな経験があったので、友達には優しく接しようという気持ちが強くて。友達の悩み相談を受けることも多かったです。でも、今考えてみると優しい言葉をかけることで、自分のことも慰めていたのかもしれません。

 

私、たぶん、愛されたいという願望が、凄く強い子どもだったんじゃないかなと思うんです。大人になった私が当時の私を分析すると、満たされない何かを満たすために、『私はここにいるよ』と存在をアピールしたかった。思いっきり、誰かに愛してほしかったんだと思います」

 

人を幸せにしたいという思いは、このときの経験が発端になっているのかもしれないと、当時を振り返る。

 

「うちは、母が小学校の先生で父も忙しい人だったので、一緒に過ごす時間が少ない家族でした」

 

幼少期まりのんさんは、学校が終わると近所に住んでいた祖父母の家で過ごした。多忙な両親が彼女を迎えに来るのは、決まって夜遅くなってから。しかも、仕事人間である父とは共通の話題もなく、言葉を交わすことも多くはなかった。

 

「祖父母は小さい私や兄の面倒をよく見てくれました。でも、祖父母はケンカが多くて……。その度、耳を塞いで部屋の隅っこで過ごしていました。怖かったのであまり怒らせないようにしようにしていて」祖父母に甘えた記憶は、殆どなかったのだそう。毎日のように口論を聞いて過ごした幼少期。人の顔色を伺う癖がついてしまったのだという。それに加えて母親が教員であることも彼女に大きく影響を与えた。

 

「母は優しくて大好きでした。でも一緒に過ごせない寂しさからか、常に母に認められたいという意識がありました。いわゆる、いい子ちゃん症候群。教員である母からは正しく生きることを教えられ、自分の感情を抑えるのが癖になってしまったんだと思います」自分の感情を抑えられなかったときには、ひどく自分を責めてしまうこともあったのだそう。幼少期に子どもらしく甘えられなかったこと、自分を律することを覚えてしまったことで、常に満たされない気持ちが付き纏うようになった。

 

家族や友達に認められたい。愛されたい。そんな思いから彼女は芸能活動を始める。CMに出たり、ミュージカルに出演したり。念願だった歌手としてデビューも果たした。

初回3000枚完売。廃盤となり、オリジナル収録曲に新たな曲を加え、再リリースされた『lollipop+』

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