奥平綾子(㈱おめめどう 代表)② ~ユーザーさんの暮らしは楽になっています~

インタビュー

重度から軽度まで、子供から大人まで対応する

自閉症・発達障害支援グッズ販売

㈱おめめどう 奥平綾子代表取締役(通称 ハルヤンネ)

 

 

奥平 こんなものが「ある」いうことを知らせなきゃいけないと思いませんか?

自閉症や知的障害の関連の団体は「それをしないのは、何故かしら」って思っています。でも、15年経ってようやく、口コミで広がってきました。「おめめどう」は母親が作った商品から?営利の会社法人だから?丹波篠山の田舎にあるから?理由はいくらでも言えますが、私は単に「めんどくさい」のと「自分たちの利権(立場いうか)を守りたい」だけだと思っています。「現状維持の法則」が働いているんです。

 

田口 思いますよ。だって、選択肢がなきゃ本人が選択できないですよ。本人にその存在すら知らさないのは、人権侵害だし、当事者無視ですよね。

 

奥平 なんでですかねえ。「自分らの子、かつての生徒」にはしてこなかったいうのもあるでしょうね。今、私が「あら〜」と残念に思っているのは、若い支援側のみなさんがそういう「頭の固い方」に習って、グッズとかを使うのを知らないってことです。会社・商品として15年前からあるのに。この5年、10年で支援者になった人であれば、知っていてもいいはずでしょう。ネットも普及して、情報は縦からではなく、横に広がる時代ですよ。リサーチすればすぐ分かる。「上の言うことを聞く」だけの仕事をしているのかもしれませんね。教員なんかもそうですね。ベテランがいなくなったら、風通しが良くなるのかと思ったら、ベテランに習った頭の固い中堅ばかりになったとか。これじゃあ、変わらんやん(涙)。

 

田口 親御さん自身が特に子に知的障害があると写真をバンバン公開しちゃってたり、子供のあれこれに干渉しすぎたり、人権意識がないように見えるときがあります。

 

奥平 私も息子の学齢期には出してました。だから、ブログのアクセスが、1万くらいありましたね。出さなくなったら、3,000くらいになりました。最初は「こんな暮らししてるのよ〜」って、誰かの役に立ちたい気持ちあるし成長を喜びたい気持ちもあるしするんでしょうが、長くなると単に親の「名誉欲」かなと思います。「やめると決めないと、やめられない」のです。相手が成人になるとやめた方がいいですよ(ユーザーさんにはそう話しています。たいてい思春期にはおやめになりますね)。そのことは、うちのオブザーバーのsyunさんにずっとうるさく言われてきました。「子供のことを書くのをやめな、いつまでも子離れができひんで」と。「おめめどう」を始めた頃は、ユーザーが少なくて、どうしても、息子との生活を切り売りしてる感じありました。「こんな風に使えるのよ」って買って欲しかったし。

10年あたりから、私が出さなくてもユーザーさんがいっぱいSNSで発信をしてくれるようになりました。助かりました(笑)Facebookを始めた9年前くらいから、全く息子の顔は出していませんね。手タレくらい(笑)

 

田口 奥平さんはよく「やらない理由はいくらでもある」と書いていらっしゃいますが、本当ですね。先日の樋端先生の取材の中で、「おめめどう」の話が出てきましたよね?それについて、支援者を名乗る方が「道具に頼るのはいかがなものか。使う人が使い方を分からなければ意味がない」と批判コメントをよこしたのですがそもそも使い方を理解する気がない支援者が、道具を頼らずに一定レベルの支援を提供できると思えない(笑)「支援者がいなきゃダメだ!」「支援者が絶対だ!」という驕りと自己満足で支援しているんじゃないの?という感想を持ちました。高いものじゃないし、何で一回試さないの?と思いますよね?(笑)

 

奥平 「道具に頼るな」派の人は、教員さんにはよくおられます。社会に出たら、こんなの使ってもらえないとね。「じゃあ、己も、カレンダーや手帳使うな!スマホ使うな!」って思いますよね。バカバカしくて話になりません。社会に出たら、学校以上に視覚的な支援もあるし道具を使って楽になるならどんどん取り入れていきます。だって、その人の暮らしだし、仕事に従事するのであれば雇用主からすると、道具を使うことで効率アップするならそのほうがいいわけです。自分が使いたくない(めんどくさい)となれば使える人に託したほうがいい。自分は使いたくないからといって、それを人の人生に押し付けてはいけませんよ。障害児者には、必要なんだから。眼鏡や補聴器、杖や車椅子を、道具に頼るなっていいますかね?おめめどう」のグッズは、最高3,000円代のもの。なぜ、3,000円かというと、主婦(お母さん)が誰にも相談せずに出せる金額だから。グッズもワンコイン以内。

理由は、障害者の年金でも買えるように。そういう成り立ちも知らないで「道具に頼るのはいかがかと思う」とかよく言うよって思います。人件費の方が何倍、何十倍するっていうのに「あほ」かいな。そういうのは「無知な人」と相手にしないんです。勉強する気がないのでしょうし、勝手に言わせておけばいいと思います。どちらを信用して、障害児者が居心地良くなるかは、もう結果としてでているので。

 

田口 ホントに「アホやな」と思いました(笑) 眼鏡ならだれも何も言わないのに。

 

奥平 そんなん、20年前からいっぱいいはります。今時同じようなセリフを聞くと、「誰に何を習ったねん」って思いますね。「合理的配慮いうの知らんの?」と。今は、そういう意見には、対応しないですね。

 

田口 あー、でも、意外に知らないのかも。息子は公立の保育園に行っていたのですが、イヤーマフをつけさせたいってだけでかなり揉めました。

 

奥平 まあ、そういうアイテムを「見たことがない」ところだと、どこでも揉めてます(知らないことへの嫌悪感、恐怖感ですね)。相手が「自分の差別心」を乗り越えるのは親御さんや本人さんの情熱ちゃうかなと思います。知識も実践も入ります。自分で理解してないと、説明はできませんから。頑張ってください。誰の何を守るかです。

 

田口 「自分の子の当たり前の権利を守るため」に戦い続けないとならないんですかね。いい加減、分かってと思います。毎回同じようなこと言われて。

 

奥平 そ、やね。制度や支援技術が進んでも、進まないのが人間です。人だけが変わらない。

 

田口 ダダさんは今、おいくつなのでしょうか?

 

奥平 27歳です

 

田口 今は奥平さんが悩むことってあるんだろうかと思うほどパワフルに見えるのですが、奥平さんはお子さんの障害の受容って簡単にできましたか?

 

奥平 そうやねえ、『レイルマン』いう本をレンタルしてるから読んでみてください(笑)障害受容は、意外に早かったいうのは、確かでしょう。自閉症を勉強し始めると、おもしろい子供やなとは思いました。もちろん、暮らしには困っていたけど。自分の育ちとして、商売人の家だったこと、美術館もあったのでいろんな芸術家が出入りしていたことなんかも影響しています。

「色んな人がいる(変わった人がいる)」と、小さい頃から見知っているわけです。今から思えば「発達障害を持ってはった」みたいな人いらっしゃいましたよ。それから、小中の学齢期に人権教育をきちんと受けたことは大きいと思います。当時兵庫県は熱心でしたから。在日や同和問題にしても、歴史からちゃんと教えてもらっていたので。その時は難しいし、しんどいと思っていたけど、やっぱりベースにあるんです。障害児者問題も、根っこは同じだとすぐに分かりました。私はインクルーシブ教育を望んでいますがそれも「隠すのではなく、学びながら、ともに暮らす」ほうが分かり合えると思っているからです。

 

田口 奥平さんは上智大学文学部哲学科卒でいらっしゃいますが、ダダさんが産まれてから、福祉の道に進んだのですか?

 

奥平 ですよ。まったく、縁がなかった。障害にも子供の教育やら保育、子育てにも関心なし。普通に一般ピープル。

結婚して2人目産んで、3歳近くなるまで全く障害とも思ったことがなかったです。面白い子やなとは思いました。育てにくいし。寝ないし食べないし。記号だけ分かるし。そんなのに障害名がつくとは思っていなかったのです。

 

田口 一般ピープル(笑)なんだか奥平さんが怖くなくなってきました(笑) すごく意外です。子供の教育に人一倍関心も熱意もあった方だと思ってました。

 

奥平 骨董とか芸術、民芸とか、そういうものに興味がありました(家庭事情的に)。あと、大学を卒業後、小さな出版社と新聞社とマスコミにいたので復職を願っていました。文字に関わる仕事がしたいなと強く思っていました。

 

田口 復職できないとなったのは、ダダさんのことでですか?それとも「おめめどう」を立ち上げたかったからですか?

 

奥平 ダダさんの障害が分かったからです。預けて、復職は難しいなと分かりました。田舎に住んでいましたし。職業婦人に戻りたかったので、それが一番ショックだったですね。どうしようかなと思いました。でも、仕方がないですよね。だから諦めて「目の前のこと(自閉症)」を一生懸命取り組みました。「何もない時は、目の前のことをする」それしかないですよ。起業は苦肉の策ですよね。勤め人ができないわけだから(当時はデイもないし)。だから、起業して心から嬉しかったです。それから、本を今までに15冊書きましたから文字に関わる仕事に戻る夢は、結果的に叶ったことになります。

 

田口 ものすごくよく分かります。私もバリバリ会社で働いてきたので、目の前が真っ暗になりました。なので、在宅自営の道が開けて、本当に嬉しかったです。子供のために自分を犠牲にしたって思って生きたくなかったので。そんな重荷を子供に背負わせたくなかった。

 

奥平 商売人の娘でしたから、商売が好きですし会社法人にして良かったと思いましたよ。扶養を外れることも目標でした。自分にとってはですが、気持ちの上で楽になるので(経済的には大変ですけど)。

 

田口 今、社員さんは何名くらいいらっしゃるんですか?

 

奥平 5名ですね

 

田口 扶養を外れるどころか女性起業家ですよね。

 

奥平 そうですかね〜。単価が安いものなので、売れても忙しくなるだけで全然儲からないんですよね。食べていくのに必死です。それでも、皆さんに役立つものを販売できている喜びはしんどさに変えられませんね。年いってきたので、体力がなくなってはきています。

 

田口 そうですよ。これからも全国的に広まっていくでしょうし。女性起業家として目標にしています。まだまだお若いじゃないですか。

 

奥平 おめめどうが繁栄する=自閉症の人たちの暮らしが楽になる」という信念でやってきました。おめめどう」に寄せられるお便りや「おめめどうファンクラブ」を見てもユーザーさんの暮らしは楽になっていることが分かります。また、それに伴い、「おめめどう」は右上がりの収益をあげているので描いた夢は、15年にして、実現したと感じます。最初の10年が大変でしたが。

 

奥平綾子(㈱おめめどう 代表)③ ~暮らしの支援を「数する」(毎日する)ことで楽に過ごせる~

に続く