精神科医 樋端佑樹③ ~ 不登校になる子どもはみどころがあります~

インタビュー

精神科医 樋端 祐樹(といばな ゆうき)先生

ロングインタビュー

 

 

 

田口 発達障害の人は割とそこから抜けられない人が多いよね。

 

樋端 発達障害の人は社会の中で

マイノリティー(少数派)の世界の捉え方や行動パターン。

そして子どもの頃は自分が少数派であることを知らない。

少数派であるだけで同調圧力の強い多数派の集団の中では

自己否定的なメッセージを受けやすく、自己肯定感が傷つけられる。

失敗を繰り返し自己肯定感も高められない。

 

療育なんていうのも、あるでしょ。

あれ、本人を矯正して「普通」にしようとするスパルタ療育ならば

それは本人を否定するものになる。

そんなのなら、やらないほうがマシ。

「型にはまれ、浮き上がるな」という教育もそうですね。

定型発達の人はよく耐えられるなあと思う。

だから不登校になる子には見どころがあります。

 

田口 今の療育制度をどう思いますか?

 

樋端 本人が不安なく、苦痛なく、混乱なくすごせる環境を

周囲の人にわかってもらい引き継いでいくことが主眼かなあ。

児童発達支援とか大量にできてきていますよね。

学校でも社会でもユニバーサルな支援や

合理的配慮(当事者から申し出でできる配慮はする)が当然の文化になれ

多くの発達障害の人はインクルーシブ(包括的)にやれると思う。

療育を受けてきて、小学校で校長先生に「退学届」を出した子どもがいて

やるなあと思った。

引っかかっていたことは話し合って解決していったけどね。

 

田口 今は「コミュ力」がないと、誰でも彼でも「あいつはアスペだ」とか

レッテルを貼られてしまいがちですね。

 

樋端 「コミュ力」ってなんですかねえ。

発達障害の人は、見ているところ、表現の方法が違うだけで

そもそもコミュニケーションは双方に責任があるはずなんですけどね。

ちゃんと聴いていない、伝えていないことが多すぎます。

 

田口 「空気を読む」っていうのも何なんでしょうね。

「空気読めよ!」とよく言うけれど。

いったい誰がその「空気」って決めるんだろう?

 

樋端 「空気=コンテクスト(文脈)」をあらかじめ共有している部分が

多いということでしょうね。

極めて日本的なもの。

世間(自分に関係のある人だけの集団の文化)に生きている人が多いから。

自分の見えていない、色んな人がいる社会を想像できない。

素直で字義通り取る自閉スペクトラム症の人は

「普通は」とか「みんなは」とか「常識は」と言われ続けると

そういうものがあると思っちゃって

「自分VSみんな」の二極の世界に生きることになる。

それは不幸なことですよね。

 

田口 英語でも「空気を読め」に当たるフレーズはあるんです。

「read between the lines」とか。

けど、言っているのを聞いたことがない。

 

樋端 多文化が混じり合う、逃げ場のある大陸では

個人として自立しているからじゃないかなあ。

欧米人やインド人、中国人・・。

忖度とか受け手に期待せずに

ガシガシ自己主張して発信しないと伝わらない。

だから特にASDの人とのコミュニケーションでは

主語をつけた(私を主語にした)個と個のコミュニケーションになるように意識していますね。

 

田口 英語直訳風に話すと理解してくれたりしますね。

英語は文法的に主語抜きでは文法的に成り立たないから。

 

樋端 日本は島国で、ムラ社会で、江戸時代は移動の自由や職業選択の自由もなく

ずっと変化がなかった。

だからコンテクスト(文脈)を言わなくても

共有されていたのが当たり前だったんですよね。

 

田口 英語は公用語だから

相手の文化的背景や国籍が違うのが当たり前。

同じ「りんご」でも日本人がイメージする赤いりんごとは限らない。

だから、「どういう意味?」「どういうニュアンスで言っているの?」

と頻繁に聞き合いますね。

バイリンガルの発達障害の方は

英語でのコミュニケーションの方が楽だと言いますね。

私もイングリッシュスピーカーですが

英語でのコミュニケーションが楽だと思う時はある。

 

樋端 日本社会はハイコンテクスト文化ですからね。

この国の人は、「世間」から脱して、社会の中での対話型のコミュニケーションに

慣れる必要がありますねえ。

違いは違いでいいじゃん。

なんでマウントとる必要があるの?と。

どちらもノンネイティブで、文化の違う国の人同士での

英語のコミュニケーションって気楽です。

下手でもいいから。

 

田口 欧米のように、小さい頃からディスカッションとか教えないですからね?

 

樋端 ディスカッション(議論)とダイアローグ(対話)はまたちょっと違うかも。

あるラボ」でも、どんな人でも排除やブロックはしない方針ですが

その代わり、徹底的に対話する。

誰かを責めたり悪者を作ったりはしない。

解決志向です。

 

田口 多人種国家で育った人って

「違う」ってこと前提で生きていますね。

日本人同士なら、考えが違ったら、喧嘩になったりするけど

英語圏の人だと「楽しいディスカッションだったね!」で終わりますね。

日本人は「同じ国で産まれて育ったんだし、自分を理解しろ」

って言う甘えと傲慢があると思う。

 

樋端 体験を言語化して共有するだけのダイアローグすら出来ていないのに、

主張をぶつけあうディスカッションはなおさら難しかろうとおもう。

日本は、みなまで言わないけど察して

分かって欲しいという甘えの文化ですからねえ。

 

※内容は取材当時(2019年9月)