精神科医 樋端 祐樹(といばな ゆうき)先生
ロングインタビュー
田口「発達障害あるあるラボ(以下、あるラボ)」は
みんなのために必要だったんですか?
これを読んでいると先生自体にそういった「場」が必要だったように見えるけど。
樋端 そうそう、もちろん基本自分のためにやっていますよ。
セルフヘルプ(自助)グループですから。
それに無理してまでやらない。
「運営ちゃんとやれ〜」と言わわれても、ボランティアだし、
知らんがなと。
田口 人を助けたいとか救いたいって動機だけじゃ
続きませんよね。
樋端 そういう気負いがありすぎて
対人援助の仕事やクライエントに依存したりすると
変な感じになることもあります。
モラハラやパワハラ、洗脳、共依存の元になる。
対等に接して付き合い続ける中で
一緒に成長しようというスタンスがいいかなと思います。
精神科医の森川すいめいさんの言うように
できることは助ける、出来ないことはつないだり、一緒に声を上げたり
世の中に必要だけど無いものは作ったり・・。
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その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――
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田口 異業種連携って考えをしているお医者さんって少ない気がする。
私を占い師だからと支援者として差別しなかったお医者さんは
「巻き込まれ」を心配してくれた精神科医のお医者さんと
樋端先生くらいですよ(笑)
樋端 基本、フォーマル、インフォーマルなリソースは分け隔てなく
使えるものは何でも使うスタンスです。
そこにこだわりはない。
私の場合は、むしろインフォーマルなネットワークを駆使する診療が
特色で強みでもありますね。
ワンストップで受け、ネットワークに投げて寄ってたかって解決する士業みたいな感じ。
医療や福祉の枠も超えて、支援者同士でお互いにやり取りする。
そういうのが楽しい。
田口 そう、お医者さんって敷居が高いから
占い師のところに相談が来るんですよ。
私はだんだん手に負えなくなってきて
精神科のお医者さんや士業の人と
ゆるやかな連携をするようになった。
樋端 医師って今の社会制度の中では便利なんですよ。
社会のコアな部分から少し引いた立ち位置にいて
有限な医療福祉の資源をどう配分するかを決める権限を託されている。
例えば過労で身動き取れなくなっている方を、診断書で社会的な責務からの免責を保証したり
ドクターストップで仕事を休むことを命じたり
その間、傷病手当金や、障害者手帳、障害年金、生活保護の
働けませんという診断書などを書くことができる。
田口 確かに(笑)
私も医師を紹介してと頼まれることがありますが
「この人の生活を保障するには、あの先生なら診断書を書いてくれるな」
とかいう基準で考えますね(笑)
あとは多剤投与しないこととか。
樋端 医師は貧困や無知、差別、人権侵害などに対する権利擁護などにおいても
闘いやすいポジションです。
いやむしろ戦わなきゃいかんね。
私淑しているのが、地域医療系の新旧レジェンドの
精神科医ならイタリアのフランコ・バザリアとか
浦河の自称「治さない医者」川村先生、京都の高木先生とかね。
田口 だけど、そういう精神科のお医者さんって少ない。
薬、病名、検査、そんなお医者さんばかりの気がします。
それは儲かるから?
樋端 いや、今は検査づけ薬づけ、入院でもあんまり儲からないよ。
監査などが厳しいから。
ディスエンパワメントして、不幸にする医療をしていても楽しいのかなと思う。
そういう医師はただ無能なだけじゃ?
ただ、無能であることに悪意を感じてはいけない(ハンロンの剃刀)。
田口 Facebookグループの「大人の発達障害あるあるラボ」では
「ASD成分強めだよね(笑)」
「ADHD成分強めw」とか「あなたはハイブリット(ASDとADHDの混合型)だよね」とか
気楽に言い合ってますよね。
なぜ、世の中はそうならない?
語り出してしまえば、発達障害ってそんなに重い問題ではないって思える。
樋端 その辺りは、「浦河べてるの家」などの当事者文化を継承しているかなあ。
「自分でつけよう自己病名」とか、SSTとか当事者研究とか。
外から目線でつけられた診断って嫌でしょ。
だいたい自分で使いこなせないし、主体的に生きられない。
その他にも「三度の飯よりミーティング」、「それで順調」「苦労をとりもどす」とか
べてるには名言がいっぱい。
田口 外からつけられた診断名は確かに嫌。
納得したい。
自分が名乗りたい診断名を名乗りたい。
樋端 「あるラボ」のコンセプトは、傷の舐め合いではなく
工夫や体験のシェア。
努力や根性ではなく創意と工夫です。
だから今を生きやすくする現実的解決方法を研究する
「ラボ(研究室)」を名乗っている。
グループのあり方自体も試行錯誤していますが・・。
自分の問題を、お高い専門家に丸投げするのではなく
身近に具体的な手立てと工夫をブリコラージュ(あり合わせのもので自作する)文化を育てましょうと。
田口 取材した中では、山瀬健治さんなんかが
同じスタンスで当事者会をやっていますね。
あとは「おめめどう」のハルヤンネさんとかそうですよね。
樋端 実は当事者主体の文化とか、専門職とのコプロダクションとか
ヒエラルキーを排したオープンでフラットな場でのダイアローグ(対話)とか
精神医療の文脈でも最先端のエッセンスを取り入れているのですよ。
診察室だけでの診療には限界を感じていて
サポーティッドピアサポート(専門職にもサポートされた、当事者同士の助け合い)
というのが自分のテーマの一つですから。
田口 なるほど。
それは成功してると思う。
すごく快適な「場」になってる。
樋端 ダイアロジカルな豊かな場さえ作っておけば、気づきと癒やし
仲間を得てみんな勝手にリカバリー(自分の人生をとりもどす)していく。
ただそういう場はヒエラルキー(上下関係)を排したオープンでフラットな場でなければ
居心地がわるくなってしまう。
診察室で1対1の診療も、そういう本人に合った場に繋ぐまでのつなぎですね。
田口 だから、樋端先生は前面に出ない?
いつも嫌がりますよね。
「あるラボ」の象徴みたいになることを。
樋端 どうしても職種的に権力をもってしまいがちだから
サポートに回るのが一番いい。
対等に接せられる関係に慣れていない人
対立か服従かの人間関係しか持ててこなかった人が
対等に接せられて、対等に接する練習ができる場であればいい。
田口 やはり当事者を癒せて
リカバリーするのは同じ当事者なんでしょうか?
樋端 先にリカバリーした人が道を示すという感じかなあ。
楽しそうに生きている姿を見せる。
それがモデリングになります。
セルフヘルプグループの良さの一つは
回復者に出会うことで回復を信じられるようになること。
ただ、他のメンバーにやたらマウンティングする人は
まだリカバリー途上の人ですね。
承認欲求が強いというか。
田口 それはすごく分かる。
私は息子の障害の受容に苦しんでいた。
けど、河西さんや今後のインタビューでも出てくる上間さんがいたから
受容できていった。
たぶん彼女たちはすでに「あるラボ」という「場」に出会ってたから
私よりも半歩進んでいたんだと思います。
「こんなに明るく発達障害を語る人たちがいるんだ!」って衝撃だった。
樋端 自立して好きなことをやれている人は
人間的に柔らかくて気持ちいい。
自分が好きに生きていれば他人が何していようと
自分に直接の危害が及ぶものでなければ気にしない。
でも満ち足りていない人は、他人にしつこく絡んだり妬んだり
一方的に恨んだり、危害を加えたりする面倒くさい人になる。
本人も生きづらいよね。
※内容は取材当時(2019年9月)