精神科医 樋端佑樹①~「ブラックジャックによろしく」の斉藤君みたいな研修医でした~

インタビュー

精神科医 樋端 祐樹(といばな ゆうき)先生

ロングインタビュー

 

 

田口 先生は精神科医であり

発達障害と気分障害の当事者を自認していらっしゃいますが

ご自分の障害を知ったのは何歳頃ですか?

 

樋端 障害というつもりはないんですよね。

今は皆様のおかげで、まあまあ社会適応しているつもりだから。

 

ただ、自分の特性で生きづらさを感じたのは研修医の頃かなあ。

色々と熱くなりすぎて、お局看護師にいじめられてるっぽくなったり。

ローテート先で脳腫瘍の患者さんが家に帰りたいと言っていて

「自分が着いていくから帰して」と言って

「前にもそんなことを言った研修医がいたけど

みんなにできるわけじゃないから」と言われたして。

 

研修医の分際で

「何のために医療やってるの?」と正論を主張して悩んで浮いたりした。

ブラックジャックによろしく」の斉藤君みたいですね。

 

もっとも、初期研修をした佐久病院は、多くの大学病院などよりは

よほど患者さんのためならいいことは力を合わせて

何とかしようという文化の病院だったから。

応援や協力してくれるベテランの医師や看護師もいてそれで救われた。

 

何かひっかかるところ(人権侵害など)をスルーして

器用に立ち振る舞うということは出来なかった(今もですが)。

 

で、その割にはあんまり時間の使い方や優先順位のつけ方が器用ではなかったり

手技系では変なところにこだわってなかなか出来なかったり。

 

病棟などで優先順位を決めて、段取りよく回るというのがどうにも苦手で

いくら時間があっても足りず疲れ果ててしまったり。

集中治療室や救急の研修では

同期みたいにパキパキ動けなかったりと苦労しましたね。

 

今みたいなブームになる前だけど、その頃から発達障害というものに興味がでてきて

小児科の発達外来のデイキャンプのボランティアなんかをやったりしていたから

うすうす自分の特性にも気付いてきたのかなとも思います。

 

田口 そんな先生に理解者はいた?

 

樋端 面白がって買ってくれて可愛がってくれる先輩や上司と

医者や人間としてダメ出しされて

烙印を押す人と両極端に別れましたね。

一部のおばちゃん看護師や、同世代のリハビリスタッフなど

コメディカルには可愛がってもらいました。

 

田口 私も会社でそんな感じだった。

天才と言われるか排除されるかどちらかでした。

偉い人の方が可愛がってくれませんでした?

 

樋端 そうですねー。

だいたい、組織からちょっとはみ出ている人か

はぐれている人には可愛がってもらいましたね。

同じ種族を見抜くんでしょうね。

 

その後、医療の王道の急性期よりは、医療を通じて社会を良くしたい

でも直接の現場は持っていたいということで

多職種のチームでやる医療がいいなとリハビリ科を専攻しました。

 

リハビリ科では中途障害の人が障害受容できず

うつになるのをどうにもできなかったり

高次脳機能障害の人の社会復帰をケースワーカーと

色々支援するけどなかなか上手くいかなかったりというので

精神科とコラボすることが多くなりました。

 

その時の上司の「ケースワーカーに成り下がってはいけない」という言葉に反発しましたけど

「診断書もかけるケースワーカーでいいんじゃないの?」というドクターもいて

なんかモヤモヤしましたけど後者を採用しました。

 

田口 何だかすごく意外な感じ。

世間的にはお医者さんは

「バリ層(借金玉氏の造語)」エリートで

何も困ってないように見えるじゃないですか。

今の「はぐれドクター純情派」とか開き直ってる先生からは

想像できないくらいですね。

 

樋端 なんか、色々やっているんですよ。

業務命令で訪問診療や診療所への出張を止められて

病棟に貼り付かされたときにうつっぽくなって

情報共有のための電子システムづくりに没頭したりした。

 

ちまちまと作りやすい道具やシステムを作るのは割と好きでして

医師として電子システムを作る仕事にできないかと本気で考えたこともあります。

 

そんなこんなで、色々とギクシャクして

悩んでいたときに、目をかけてくれていたころに

人間再生工場的な上司に拾われて再生されました。

 

その頃には自分の特性にも色々と気づいてましたね。

しばらくゆるく仕事をした後、病院を代わり、ついでに精神科へ転科しました。

 

今はそういう後輩をみつけては、こっそり再生している。

 

田口 最終的には診断を受けたんですか?

 

樋端 精神科の診断って、特に発達障害に関してはまだまだいい加減なんですよ。

まあ調査研究、保険請求のためには必要ですが

支援や治療のための仮説に過ぎないものだから

自分がしっくり来ていればいいと思う。

 

まあ、あーだこーだと

色んな精神科医ともディスカッションする中で、自分で決めたかなあ

そういうのは楽しい。

 

田口 確かに。

私、精神科でうつ、抑うつ状態、統合失調症、双極性障害

発達障害、不眠症って診断が出て

先生が変わるとこんなに診断名変わるんだって思ったことがあります。

私は最終的に光トポグラフィー検査も受けて

特に何も出なくて、息子が診断受けたときにWAISを受けたら

傾向があるって分かった。

 

樋端 ヤブ医者ほど検査や薬に頼るよね。

自信がなく、他に手立てをもっていないから。

私も大好きな精神科医の神田橋條治先生の言うフラクタル理論っていうのがあって

ぱっと関わった時の印象と

いっぱい検査して長く付き合った時の印象のズレが少ないようにチューニングして行くと

短時間でも細部を見れば全体がわかるようになる。

 

そんなこんなで移った先の精神科はなかなか楽しく

老若男女あらゆる精神疾患と人生を経験させてもらいました。

サービス精神があって

割と患者にも後輩にも面倒見もいいことから

人気も出て慕われてたと思う。

 

田口 割と転々としてますね?

 

樋端 まあ、あるときから基本流される展開型の

頼まれごとの人生に切り替えました。

診療も何も、よろず相談を受け、ついで自分の全てを総動員するスタンス。

 

自分がやりたいと思ってもお呼びでないこともあるし

頼まれたことで、楽しくできることだけやっていれば

自分に合った場で楽しく生きられるようになるとおもいます。

 

※内容は取材当時(2019年9月)