そして、数年後。
私が生活保護を抜ける日が来た。
色々な方たちの助けがあって、泣いたり笑ったりしながら、過ごした数年間。それだけあたたかい環境だったからこそ、生活保護を抜ける時には、不安も大きかった。だけど、生活福祉課の女性課長さんが「いいじゃない。田口さんは今、何も失うものはないじゃない!食べて行けなかったら、また保護せざるを得ないんだし。これからは得ることばかりよ!何も怖くない!」と背中を押してくれた。
生活保護はこちらが「抜けたい」といったところで、打ち切ってもらえるというものではない。生活が安定していること、一定期間、安定収入があることが確認できないと、打ち切ってはもらえない(様子見の期間が約半年)。
私の場合、その条件を満たしたので、即時廃止となった。
その時はうれしくて、役所のお世話になった方たちに、通知書を持って挨拶に行った。「よく頑張ったね!」と抱き合って涙を流してくれる職員さんもいた。
一番嬉しかったのは、国民健康保険証を受け取ったときだった。これで、子どもが熱を出したときでも、一番近くのお医者さんに行けるんだ!何度も保険証を確認しては、涙を流した。
今、私はこうやって編集長として働いているけれど、それも全てはY区と善意から助けてくれた人たちがいたから。
その数年間の経験があるから、私は何があっても、乗り越えて行けるし、人の温かさを知った。私のケースはかなり特殊なケースかもしれない。だけど、生活保護はセイフティーネット。なので、死を考える前に、恥だと思わずに、受給して欲しいと思う。