「その沼入るべからず —―CASE2#母乳神話」母乳にこだわりすぎてネットで他人の母乳を購入?!

出産、育児、健康法。女性の生活まわりにあるさまざまな情報の中には、ハマるとヤバいものがたくさん⁉ 山田ノジルが独自の視点で突っ込みつつ、沼の注意点をお届けしていきます。
CASE1#胎内記憶はこちらから
Case2 母乳神話
「母乳こそが愛情!」「母乳をあげている時間が親子の絆も育むんだ~って思ったら、すごく幸せ」
出産のタイミングが重なった同級生とママ友になり、子連れでお茶をしているとこんなトークが始まった。「産後ハイ!?」と一瞬驚いたけど、そういえばこの子、オーガニックな暮らしとか、月のリズムを意識したヨガとか好きだった。なるほど、こんな感じの親になるのか……。
自分も子供に母乳を与えているけど、分泌量が足りていない気がするし復職の予定もあり、さらに体調によっては授乳を夫に変わって欲しいこともあり、あえての混合にしている。ところがそれを話すと「ほ乳類なんだから、頑張れば絶対に出る! 母乳を諦めないで!」「粉ミルク育ちはブクブク太る」「母乳はアレルギーも予防できるし、IQも高くなる」とたたみかけられてしまった。さらに質のいい母乳を出すには薄味の和食、乳腺炎になりかけたらキャベツやジャガイモのすりおろしで冷やすといいなどのアドバイスまで展開され、正直お腹いっぱいだわ。
もちろん、母乳が子供にとって最適な栄養であることには異論ない。でもママ友が熱心に語る母乳の素晴らしさには「粉ミルクは親失格」というメッセージが含まれているように思え、子供に対し後ろめたい気持を感じてしまい……。
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これは出産後の親たちが、高確率で遭遇する「母乳神話」です。根拠のない話もごちゃまぜになった母乳の効果効能が巷に広まっているのです。それらはCase2のようにママ友経由で伝わることもあれば、助産院を始めとする「自然なお産」周りでもよく広められています。無料で読めるネット記事などにも度々姿を現すため、遭遇率の高さは相当なものだと言えるでしょう。
根拠が怪しいお説とは、次のようなものです。
「母乳育ちのほうがIQが高い※1」「母乳のほうが情緒が安定する※2」「母乳のほうがアレルギーになりにくい」「母乳のほうが絆が深まる」「母乳っ子は人間が大好きになる」「母乳育ちの赤ちゃんは、目の輝きが違う」
※1、2はミルクよりも母乳のほうが優位だという研究結果はあるが、長期的な効果は確認できていない。
「目の輝き」とか、一体どうやって測定&評価するんでしょうね。こうした意味不明な言説も含め、母乳がまるで魔法の液体かのように謳われているのです。
母乳育児が親子にとって、大きなメリットをもたらすことは間違いありません。赤ちゃんの体が消化吸収するのに最適な栄養であること。母乳を与えることで免疫機能が未熟な赤ちゃんが感染症にかかる確率を低くしたり、乳幼児突然死症候群(SIDS)を予防する可能性があること。母親側は、子宮の回復や体重減少がスムーズになる。これらは、研究により根拠がしっかり確認されています(とは言え生まれつきの体質や個人差も大きいようで、母乳かミルクかで簡単に測れる問題でもないようですが)。
でも、入念&開発されている現代の粉ミルクだって、母乳と比べてそん色ない栄養です。重要な抗体が含まれる初乳にまでは追いつかないものの、粉ミルクは母乳に極力近い成分になるように作られています。また、母親以外の人でも赤ちゃんに食事を与えられることができるのも、母親が体を休められる嬉しいポイントです。乳房のコンディションや母乳の分泌量に振り回されないことが、健康上プラスとなる人もいるでしょう。そもそも粉ミルクが問題のある栄養だったとしたら、粉ミルク消費量が多かった第二次ベビーブーム世代(現代40代後半)は無事育つことができず、あの過酷な受験&就職競争率は存在しなかったはずなのでは?
粉ミルクと母乳。どちらにもメリットとデメリットがあり、それはライフスタイルにあわせて選べばいいだけのこと。なのに「母乳でなければならぬ」と母親たちを追い詰め、結果的に粉ミルクのデメリットを強調する「母乳神話」はどこから生まれてくるのでしょう。私がこれまで取材してきた中から考えるに、ざっくり3つの発生源があります。
まずひとつは「自然こそが安全で正しい」「人工に作られたものは危険で怖い」と考えです。近代栄養学や工業的なものに対して反発する思想から、自然に傾倒していく、いわゆる「自然派」です(育児界では自然派ママと呼ばれる)。自然の営みから外れると(人工的に作られた粉ミルクを与えること)、いずれツケが来る。子供の成長に不具合が生じる。粉ミルクの原料である乳製品は、本来ウシの赤ちゃんが飲むもの。ヒトが飲むなんて不自然! そんな言説に触れ、不安を植えつけられた人も多いでしょう。さらに自然派における母乳信仰は政治的な思想との結びつきもあり、「粉ミルクは消費社会から支配されること」「企業にコントロールされてしまう」「母乳育児は権力と資本からの解放!」とまで飛躍するケースも見られます。実際、昭和の時代に国や企業によって行き過ぎた粉ミルク布教があったことは事実ですので、当時それに危機感を覚え、母乳のメリットを強調した啓蒙活動のエッセンスが、今に残っているという要因もありそうです。
お次は「手間暇かけることこそが愛情」という考えかたです。これには「一切楽をせず、心血注いで育、立派な子供を育てるべし」「母親は一瞬たりとも自分の楽しむ時間を持つべきではない」といった、明治時代の良妻賢母教育の名残を感じます。こうした考えが根底にあると、現代の便利な育児グッズは親を堕落させるものに思えてくるよう。軌道に乗りさえすれば、調乳や器具の手入れが必要な粉ミルクより、母乳のほうが楽な面もあるのですが、なぜだか粉ミルクは直に身を削らないからか「楽している」と避難されがちです(体力・手間・時間を削ってますけどねえ)。2019年に液体ミルクの発売が始まった時も、「液体ミルクで楽していると本当の親になれない」だの「おっぱいは何のためについているのか」といったネガティブな意見が男性から発信され、Twitterではちょっとした炎上騒ぎとなりました。そもそも、母乳の代替となるミルクが必要なのは労働や体の問題であって、手抜きをするためではありません(個人的には手抜きでもいいと思いますけど)。母乳に限らず「栄養」というものに、愛や絆といった意味を持たると、だいたいおかしなことになるものです(冷凍食品論争とかな!)。
3つめは、母乳を与えることで「女として・母として優れている」という優越感を覚えること。努力によって子供に最良の栄養を与えることができたという達成感や喜びが、母乳神話のブースターになっているケースも多々見られます。生存本能で狂おしく子供から求められながら、小さくはかない命をつないでいる万能感と自己肯定感。それらが暴走し、粉ミルク育児を見下し、母乳の効果効能を現実以上に信じてしまう。産んだ直後から「お母さん」を押し付けられ、自分が自分でなくなっていくような感覚(アイデンティティ・クライシス)に陥る人もいれば、逆に母乳を与えている自分がアイデンティティになる人もいるのです。出産の現場をリアルに描いた漫画『コウノドリ』(鈴ノ木ユウ著・講談社)でも、登場人物が友人から「帝王切開だと母乳も母性も出ない」と言われるエピソードがありました。こういったいざこざは、自分の劣等感を補うために相手をディスり優越感にひたるマウンティングほかなりません。こうなると赤ちゃんのためだった母乳が、自己肯定感を高める魔法の道具になってしまい、目もあてられません。
母乳神話にハマってしまった結果、「何が何でも母乳でなければならぬ」と追い詰められてしまう母親が後を絶ちません。2015年には子供に母乳を与えたいと思うあまり、ネットで「新鮮な母乳」を買ったところ、ニセ母乳だったという事件がありました。某メディアが業者から母乳を購入して分析してみると、なんと正体は雑菌まみれの水で薄めた粉ミルクだったのです。他にも「母乳が出るようになるハーブティ」など、根拠の薄い商品はいくらでもあります。これらは母乳でなければ子供に不利益が生じるのではと不安になる親心に付け込んだ「悩める母ビジネス」。母乳神話が悪質なビジネスを潤す養分となっているとは、酷い話です。
子供が成長すれば授乳の悩みは自然と消えていきますが、沼は基本いろいろなジャンルで連結しています。母乳神話にハマっていれば、そのまま別のオムツ沼や無添加沼へとスライドしていくでしょう。育児・出産の世界は科学的根拠が全てではない部分も否めないため、いろいろな思想やビジネスが入りこんで来る魔界です。広く浅く見分をひろめ、沼の深みへハマってしまわぬようご注意を。