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孤児たちにとっての戦中戦後 ~毎日のように餓死者が出ていた。京都・伏見寮をさがして~

けれども、かつて孤児たちを一時保護した公的施設が京都市内にいくつもあったこと、またそのうちの1つ「伏見寮」が自宅近くにあったことは最近まで知らなかった。学校で教わることもなければ、メディアを通じて知ることもなかった。調べることを生業としているのに、自分が暮らしたまちで起こっていたことはあまりに知らない。そう感じられて、ショックだった。
知りたい! それが、カンタンではなくても。 「知りたい!」といっても、それはカンタンなことではない。戦後75年がたち、太平洋戦争中また終戦直後について話してくださる方はどんどん少なくなっている。おまけに、コロナ禍の渦中で話してくださる方に会いに行くのも難しい(いまは長年暮らした伏見を離れ、浜松で暮らしている。毎夏まるで蒸し風呂のように暑い京都を脱出したと思っていたら、浜松で日本過去最高気温41.1度を体感することになるとは夢にも思っていなかった。ちなみに41.1度を記録した日は自宅内にいたが、外に干していた布団はお湯につけたかと間違えるくらいに暑かった。またときおり吹いていた熱風からは、暑さとそれ以上の怖さが感じられた)。
伏見寮に関しては「正確な記録は残っていない」との報道もあり、文献からどんな施設だったのか調べるのも難しいだろう。そもそも、筆者は視覚に障害があり文献を読みこなすことも簡単ではない(厳密にいうと、文献を「読むことよりむしろ「探して入手する」ことの方が困難である)。また「知りたい」といってもはたして何が「知りたい」のか、そして「伝えたい」のかもよくわからない。
毎日のように誰かが餓死…京都「戦災孤児寮出身者」が振り返る〝孤児の戦争〟 https://www.sankei.com/west/news/151019/wst1510190032-n1.html
しかしそれでも伏見寮について、孤児たちの戦中戦後について調べてみたい。現代につながる何かが、このテーマにあるように思えてならないからだ。また視覚に障害がありながら、そしてこのコロナ禍において、いかにしてものごとを調べることができるのか。このテーマを通じて、読者の方に伝えられればとも思う。
少ない手がかりから、どこに向かうかを探し出す伏見寮をめぐる旅。きっと現代につながる何かがあると思って、どうかしばらくおつきあい願いたい。