当事者インタビュー 上村聡美さん① ~「みっともねえ」これが父の口癖だった~

インタビュー

 

■根強い医師・支援者不信

田口 今の上村さんのお医者さんや支援者不信の一番の原因って何なんでしょう?

 

上村 未成年の時に、学校の男子からのいじめでぎりぎりの精神状態だった時にクリニックへ飛び込んだ時がありました。

「気の迷いです」で、帰された。だから、医者は頼りにならないと思いました。

 

田口 でも、それって30年ほど前のお話ですよね?

そのことが今でもフラッシュバックしますか?

 

上村 今はほとんどないです。

ただ、全く理由がわからず、嫌われたりいじめられたりしていたので、また裏切られるという思いはありました。

 

田口 本当は信じたいんですよね、きっと。

 

上村 そうですね。

 

■親からの虐待と壮絶ないじめ

田口 親御さんはいじめに遭ってることに対し、どんな対応をなさいましたか?

 

上村 何も。「学校へ行け!」これだけだった。精神的に追い詰められて、学校でも不適応だった。精神病院は「きちがい病院」だと言っていました。

「みっともねえ」これが父の口癖だった。

 

田口 親御さんからの虐待はありましたか?

 

上村 ありました。ずっとトラウマでした。

 

田口 辛くなったら言ってください。どういったものでしたか?

 

上村 母からは体と言葉の暴力です。

今でもはっきり覚えているのは、吹雪の朝に、服をはがされて、しばらく戸の外に立たされた。

お金を忘れて買い物に出た事がばれて、床に倒されて足蹴りされました。

布団で口をふさがれて「とっとと死ね!」

風呂の水桶に頭をつっこまれて「死ね!」と言われました。

妹と差別的に扱われる。幼稚園に入る前のことです。

これは大人になってからですが、父からは「失敗作品」と言われました。

 

②自分は憎まれるために産まれてきたと思っていた

 

※内容は取材当時(2019年9月)

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