「そんなに配慮できません!」の正体 ~配慮とは愛である~

お役立ちコラム

「配慮」をするには、時間が必要ですよね。

人って何を基準に

自分に割いてくれる時間を決めるでしょう。

私だったら

「子ども→親→仕事関係者→親友または恋人→友達→知人」

の順番で、割く時間が全く違います。

子どもためなら24時間でも惜しくないです。
親の看病が必要ならば、子どもを預けられる時間帯で看病します。
仕事関係者なら、即、生計に結びつくし過ごす時間も長いので、情もわきやすいです。
親友・恋人ならば、愚痴の2~3時間は聞きます(毎日は嫌ですが)。
友達なら、私の場合、年に数回くらいなら時間を割きます。

 

知人となると、もう対応する時間は果てしなく残っていません。

 

そうなってくると、配慮できるかどうかって

大切な順が大きく関わっていて

知人レベルだと

「(配慮したい気持ちはあるけど)配慮できません!」

となってしまうんですよね。

 

なので、配慮が愛ならば、拒否されて怒るのは筋違いです。
「なぜ、私を愛してくれないの?」
と言ってるのと同じですから。

 

恋愛と同じで、いくら自分が愛して欲しくても

愛されないことはいくらでもあります。

 

そうしたら、愛を求める相手を変えるか

お金を払うから仕事として愛してくださいというか

自分が相手に愛される努力をするしかないですよね。

 

この場合の「お金を払うから仕事として愛してください」

にあたるのが、ヘルパーさんや外注の利用です。

 

この部分はどうしても苦手なので

仕事としてやってくださいねということです。

続きを読む - 1 2 3

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});