「アルコール依存は病気。責めてはいけない」という知識はあった。だけど、身内だとどうしても期待やそれまでの怒りがあるから、責めてしまう。その悪循環に陥っていた我が家だったが、M医師の言葉なら素直に聞けるようだった。
M医師は筆者と同世代の40代だ。まさか父が自分と同年代の医師の言葉を受け入れるとは思わなかった。
父はそれ以降、少し具合が悪いとS内科に通うようになる。S内科は正直、流行っている医院ではない。筆者が通っていた頃も、患者は少なかった。父にとって待たずに長時間話し相手になってくれるⅯ医師は、心の拠り所になっていったのだろう。
そして、福祉関係のパートをしていた父は、コロナ禍で逆にお給料が増えた。妻がおらず時間が自由になる父は、職場で重宝されたようだ。そのことで、父はだんだんとお酒に「逃げる」時間が減ったのだ。
現在の筆者と父は、距離を取りながら、また交流しだした。離れたことで気づいたのは、父の責任感の強さだった。職場ではもちろん、発達障害グレーゾーンの孫(筆者の息子)の世話に対しても責任を感じていたことが分かった。健常児だったらただかわいがるだけだったのだろうが、学校の送りは自分が肩代わりしたい、娘の負担を減らすために預かりたいと思っていたようだ。
筆者もまた父の助けに依存していたことに気付いた。筆者は父と再会する前に準備をした。息子にできる限りの福祉の支援を入れることにした。たまに気が向いたときに、父が手伝ってくれたらありがたいくらいの体制にした。
父は「自分がやるのに」と最初は不満気だったが、体力が落ちていること、義務になるとストレスとなることに気付いたようだ。
今の父は週1回、普通のお祖父ちゃんとして数時間遊びにくるだけになった。誕生日や子どもの日などのイベントのときは集まるが、それ以外は適度な距離を置いて付き合っている。
父を毛嫌いしていた息子も「最近のじいじはお酒臭くない。怖くない」と小さい頃のように父の訪問を待ちかねるようになった。
アルコール依存症はいつ再発するか油断はできないが、依存症になる人は、真面目で責任感が強いのかもしれない。そして、生きづらい人なんだと思った。
依存症の家族を持った方には、当時の筆者のように抱え込まないで欲しい。毒親を切り捨てる権利はあると今でも思っているし、子どもは自分の人生を生きるべきだ。だけど、その前に少しだけ行政機関や外部の手を頼ってみることをお勧めしたい。
アルコール依存症ナビ
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