今の介護施設はまるで刑務所。お爺ちゃん・お婆ちゃんの自由や尊厳はどこに
「指示系統で動くピラミッド型の組織って一番下に利用者さんである爺ちゃん・婆ちゃんがいる。医療や介護が爺ちゃん・婆ちゃんに何かをしてあげるっていう支配・管理体制なんですね。だからこそ、朝ごはんは8時、昼ご飯は12時、テレビを観るのはこの時間とか、まるで刑務所みたいにタイムスケジュールが決まっているんですね。これって支配・管理体制なんですよ。その人個人の自由とか尊厳はそこにはあまりないです」
『いろ葉』ではタイムスケジュールは一切ない。基本的に、お爺ちゃん・お婆ちゃんの自由に任せて、さりげなくサポートするスタイルだ。その人のことを良かれと思って、何かを管理しようとすると、管理する側も管理される側も疲れる。そして、関係性も変になるというパターンは非常に多い。それは子育てでも一緒だという。
「うちには小学3年生の子がいます。宿題をさせようとか、親が何時になったらあれやりなさい、これやりなさいと言ってると親子ともに疲れるんですね。宿題をやらなくて先生に怒られるんだったら、それはあなたの責任ですよと言って、自由にさせてあげると、子どもは子どもで先生に怒られるから自分でやろうって思うようになる。それは介護施設でも全く一緒だと思います。
爺ちゃん・婆ちゃんを管理しようと思うと、介護の手間がかかります。介護職の不足なんか、管理しようと思っているからですよ」
筆者も特養老人ホームに半年ほどいたことがあるが、一日のタイムスケジュールはきっちり決まっていた。だけど、3時のおやつ、18時の夕飯時に食べたがらないお爺ちゃん・お婆ちゃんは大勢いた。スプーンで泣いて嫌がっているお婆ちゃんの口に、無理やり詰め込むよう指導されてショックを受けたことがある。これが人間に対する扱いなのか。自分の親も年を取ったらこんな扱いをされるのか。そこに幸せはあるのか。葛藤しながら介護していたことを思い出した。
「そう感じるのが当たり前なんですよ。19時とか20時に夕飯を食べたい人もいれば22時23時までテレビを観たい人もいる。それをルールに従わせて、従わないと『問題行動』といって、睡眠薬を盛るとか、全部管理しようと思っている。そうすると爺ちゃん・婆ちゃんも嫌になっちゃうし、管理する側も疲れる。そういうことなんですよね。そこからの脱却というのが、今、一番、介護に求められていることなんじゃないかな」
『いろ葉』と森田氏のチームでの介護の形が話を聞くにつれ見えてきた。次回は、本当の「ケア」とは何か、財政破綻した北海道夕張市で起こった死生観の変化についてうかがっていく。
終末期に食べられなくなると死んでしまうという「嘘」|「うらやましい孤独死」の著者に聞く終末期ケア
に続く