境界線にいる私たち②DVからの逃避と母性の芽生え

コラム

その当時は、ADHDという言葉も知らなかった私たち夫婦は、経済的にも精神的にも追い詰められていった。

 

後に離婚裁判で明らかになったのは、事故の回数は本当は年回5回であり、元夫は会社では営業職に配属されていたが、ミスの多さが問題となり、倉庫整理に移動となっていたのだ。

 

また、ASDとは発達障害の一つで

①主に会議などの場所で空気を読まずに発言してしまい、ひんしゅくを買う(コミュニケーション障害)

②予想していないことが起きると何も考えられなくなり、パニックを起こす(見通しが立たないのが苦手)

③自分なりのやり方やルールにこだわる

④感覚の過敏さ、鈍感さがある(うるさい場所にいるとイライラしやすい、洋服のタグはチクチクするから切ってしまう)

などが主な特性としてあげられる。

 

無口だと思っていた元夫は、コミュニケーション障害が強く、会社で上司や同僚と摩擦が起きていた。また、子育ては見通しの立たないことの連続だ。結婚生活は他人との共同生活なので、自分なりのルールを押し通すことは難しい。赤ん坊は予測不可能なタイミングで、泣き、排便し自分の聴覚を、嗅覚を刺激する。

 

荒れる元夫から暴言を吐かれ、時には暴力を振るわれていた私も悲惨だが、元夫自身も、慣れない環境で自分をコントロールできずに戸惑ってパニックだったに違いない。

 

私はだんだんとそんな生活の中で、気分が沈む、突然涙が出るなど抑うつ状態となっていった。そして、車の免許を持っていなかった私は、元夫とともに精神科を受診するようになった。

 

次回

「カサンドラ症候群と別居生活の始まり」

 

参考資料

DVの相談先一覧

http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/soudankikan/01.html

 

※脚注 精神科医 樋端佑樹(といばな ゆうき)による解説

【発達障害と産後クライシス】

 

※内容は事実関係に基づいていますが、個人特定を避けるため、人名・地名・関係者名などは個人情報漏洩を避けるため一部事実と異なります。

 

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