福祉系大学へ進学。手話歌との出会い
念願叶い福祉の道へ。そして女優へと
福祉系の大学へと進学したなみしさん。この頃彼女に、人生を変えるひとつの出会いが訪れる。
「大学1年生の時に手話で歌を唄う世界を知りました。大学の先輩が、『こころおと』という、聾者・聴者混合バンドのライブに誘ってくださったんです」
手話歌と出会い、その世界に魅了されたなみしさん。大学の友人を中心とした仲間たちと手話パフォーマンスの活動を始める。それは、卒業するまで続いたのだそう。
大学を卒業後、なみしさんは、障害のある人が自立した生活を送るためのサポートをする施設に生活指導員として入所する。
「ほかにもいくつか内定をもらったのですが、自分の中で一番響いた施設に就職しました。ここの施設長さんは、たくさんの現場を経験したベテランで、この人と一緒に仕事をしたいとう気持ちもありました」
小学生時代から憧れた福祉の仕事。念願叶い、長年の夢がやっと現実のものとなる。しかし、なみしさんは僅か数年でこの施設を退職する。
「私が入って3ヶ月程たった頃、施設長さんが異動になってしまいました。この施設は7〜8年新人を採用していなかっので、先輩はみんな年の離れた方たちばかり。新しく入ってきた施設長とも相性が合わず。いわゆるパワハラというのでしょうか。仕事は充実していましたが、精神的に追い詰められて退職しました」
適応障害と診断がくだり、退職したなみしさんは、その後芸能プロダクションに所属する。
「私の中で、生きていく上でこれだけは外せないというものがあって。『人生一度きりなのだから、やりたいものは全部やる』昔からそう決めていました。
うちは父親がミュージシャンなのもあって、芸能界が割と身近な存在で。私も子どもの頃は、子役として活動していました。でも、小さい頃の私は人見知りが激しくて。人前に出るのが苦手で結局辞めてしまいました。
芸能活動自体が嫌いなわけではなかったので、辞めた後、後悔はあって。そのことがずっと心に引っかかっていました
それに、芸能界って人とのコミュニケーションが学べる場でもあるんです。勉強になることもたくさんあります。ここで学べるものを吸収して、次のステップに進みたいと思いました」
役者として生計を立てたいというよりも、途中で投げ出してしまったことに後悔があったというなみしさん。役者としてやり残したことをやりたいという想いから、子どもの頃に所属していた事務所と同じ事務所に所属し、朝のテレビ小説や連続ドラマに出演するなど、役者の卵として活動を始めた。