ドヤ街は、赤貧や家庭崩壊で住む場所を失ってしまった人たちが訪れる街として知られていた。
日雇い労働者の泊まるためのドヤ(宿の隠語・簡易宿泊施設)が林立する地域がドヤ街である。今でも、安価で泊まれるドヤはある。
というわけで、今回は関東のドヤ街を紹介したい。
まず、知名度はあまり高くない川崎のドヤ街を紹介する。
戦後は“はらっぱ”と呼ばれたと聞いたが、その名前を覚えている人は取材をした当時でもかなりの老人だけだった。
川崎に生まれた時から住んでいる女性にドヤ街があるらしいんだけど知らないか? と聞いたら、
「そんな場所はない」
と言われた。実際、行ってみるとその子の住んでいる場所が、もろにドヤ街だった。
それくらい、ドヤ街としては霞んでいた。
僕は川崎のドヤには泊まった事があったが、2300円と相場より少し高かった。
テレビが100円入れないと見られないタイプだったり、コンセントが使えないなどあまり良いドヤではなかった。
何より隣室から、店の主が客の老人に向かって
「ゴロゴロ寝やがってこのジジイ。次、小便もらしたら、追い出すぞ!!」
と叫んでいる声が聞こえてきて、最悪な気持ちになった。
川崎のドヤ街がある日急に注目された。
火事だ。
2015年5月17日未明、吉田家から出火した。吉田家とよしの、2軒が全焼して、9人が亡くなった。
ある週刊誌に取材を頼まれてバイクで現場まででかけた。まだ焦げ臭く、消防や解体業者がいた。そして警察とマスコミも大量にいた。
普段なら「週刊誌の記者です」と言えば、ある程度話が聞ける。
ただ今回は大きな事故だったので、テレビ局が来ていた。テレビ局の取材を受けると、雑誌社なんてどうでもよくなるらしい。
ドヤの店主に、
「うちはNHKに話すことにしちゃったんで」
なんて上から目線で言われてむかっ腹を立てた。
しかしたまたま知り合いのテレビニュースのスタッフにばったり出会った。事情を話して、取材で得た情報を少し聞かせてもらうことになった。
さすがテレビ局だけあって、すべてのドヤに話を聞いて分厚いフォルダに閉じられていた。
なんでも、ほとんどのドヤが違法建設で、非常階段がなく、消火装置もついていなかったそうだ。それに、
『現場に灯油の臭いがした』
『直前に言い争う声が聞こえた』
『金の貸し借りで追い出された人がいた』
など、きな臭い話も出てきたという。
焼けたドヤを見ながらケタケタと笑っているオッサンにも話を聞いた。
「昔、ここに住んでたよ。ベニヤ板で出来たような家だから燃えて当然だよ。むしろよくいままで燃えなかったなって感じ。役所は昔から、ドヤを潰したいと思っていたんだ。正直な話。今回、燃えてちょうどよかったと思ってるんじゃないか?」
と楽しそうに語った。
まあさすがに役所の人たちもそこまで意地悪なことは思わないと思うが、そういう空気があったのは事実などだろう。