【和解と夫のDV】
出産後は記憶にないくらい忙しかった。
3時間おきのミルクやり、沐浴の仕方の指導、抱き方
乳房のマッサージ…などなど、泣いてる暇はなかった。
出産直後、駆けつけてくれた義母は歩の誕生を喜び、目に見える障害がないことにほっとしていた。
義両親の説得により、元夫も冷静さを取り戻したと聞きホッとしたが、あの「掻き出せ」という言葉が脳裏から離れない。
これから元夫と生活をしていけるのか。
不安はぬぐえなかった。
出産して3日後に病室に現れた元夫だが、歩を抱こうとしない。
ただ異物を見るように遠巻きに見ているだけ。
私は絶望した。
夫婦の会話はなく、元夫は名前も決めようとはしなかった。
なので、乳児室のベッドには「田口ベビー」と名札がついていた。
「あまりにもかわいそうだし、お母さん、仮の名前をつけませんか?」と言われ、私は父親がいなくても強く生きていけるような子に育つようにと願いを込めて
「剛」という「仮」の名前をつけた。
仮の名前で呼ばれる息子。
仮の名前で呼んでいる母である私。
出産してから泣く余裕もなかったけれど、名前を呼んだ時だけは涙が止まらなかった。
「なぜ」「どうしてこんなことになるの」「どうして夫は豹変したの」
そんな思いで頭がいっぱいだった。
それでも退院の日、元夫は頼んでいたベビーグッズ一式を買いそろえ、病院に迎えにきた。
そして、「あの時は混乱してごめん」との謝罪があったが、歩の名前は義父母が神社の姓名判断で私には相談なしに決めた「歩」に決まった。
「今日から君は剛じゃなく、歩なんだね」と受け止めきれずに涙した。
元夫の状態を気にした義父母は、同居を提案してきた。
私自身も元夫との2人の生活に戻ることは危険に思え、同居の提案を受け入れた。
退院とともに元夫の実家への引っ越しも慌ただしく済ませ、新生活が始まった。
同居後、数日は赤ちゃんの誕生を喜び、近所へのあいさつ回りをし、笑顔に包まれていた我が家だった。
しかし、元夫の様子は妊娠前にも増して、おかしくなった。
とにかく「子供のおむつの匂いが臭くてたまらない」と室内に置くことを許さなかった。
消臭袋に入れるなど、工夫をしても気になるという。
仕方がなくおむつは交換する都度、庭にあるごみ箱に捨てに行くことにした。
またその時期から、夫は盛んに洗濯物の匂いを気にするようになった。
何度、洗おうと「何か匂うから洗いなおせ」と言って、聞かなかった。
柔軟剤も使わず、何度も洗いなおすのだが、それでも匂うという。
義母と一緒に匂いをチャックするけれど、義母も洗剤の匂いしかしないという。
元夫は「何でこの匂いが分からないんだ!おかしいんじゃないか!」と激高し物に当たった。
当時の私にとって、それは出産後の大変な時期に起きた夫によるDVでしかなかった。
今なら分かるのだか、発達障害の人の中には、五感の過敏性のある人がいる。
元夫は嗅覚過敏を持っていたのだろう。
そういう私自身も後述するが、発達障害の傾向を持っている。
私の場合は聴覚過敏がある。
五感の過敏性は常に強く出るわけではない。
私の場合もそうだが、ストレスが溜まっている、緊張している時などに強く出る。
おそらくあの時期の元夫は、新生活と子供の誕生というダブルの変化によるストレスで嗅覚過敏が強く出ていたのだろう。
取材をしていると、同様の経験をしている夫婦に遭遇する。
発達障害の男女比は4対1、知能がより高い水準では男女比が8対1—10対1になるという調査もあるほど男性に圧倒的に多い障害だ。
なので、多くの場合、定型発達者(または軽度)である妻が出産というライフイベントを機に夫の急激な変化に戸惑うことになる。
離婚を避けるために、子育て中は別居する夫婦もいるほどだ。
最初は口頭でのDVや物に当たるだけだった夫が暴力を振るうようになるには、そう時間はかからなかった。
参考資料
DVの相談先一覧
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/soudankikan/01.html
※脚注 精神科医 樋端佑樹(といばな ゆうき)による解説
※内容は事実関係に基づいていますが、個人特定を避けるため、人名・地名・関係者名などは個人情報漏洩を避けるため一部事実と異なります。