修行の合間などに、信者同士で集まって勉強会をすることがある。先輩出家信者が、語ったり、ホワイトボードに説明を書いたりする。
その勉強会の前に、先輩出家信者が
「ちょっと今日はみんなに聞いてもらいたいことがある。みんなも知ってる信徒のAが先日亡くなった。ガンだった」
と語った。僕は、まだ入信してまもなくの頃で、そのAさんとは会ったことがなかったから実感はわかなかったが、それでもなるべく真剣な顔つきをした。皆で死を悼むかと思ったが、全然そうはならなかった。
「奴(A)は全然まじめに修行してなかったからね。結局、そうやって自分に甘える人はガンになるし、ガンになっても克服できないよ」
とその先輩出家信者は続けた。
「まあ奴は、もう二度と人間には生まれ変われないね!! まあ良くて、畜生道か餓鬼道だね」
そういうと嘲るように笑った。
それを聞いていた、周りの一般信者たちもつられるようにゲラゲラと笑った。仏教では死んだ後に、輪廻転生すると言われている。その人の生前の行いによって、天道、人間道(人間の世界)、修羅道、畜生道(牛馬などの世界)、餓鬼道、地獄道に生まれ変わるとされる。人間道が今のこの世であり、後半に行くほど悪い世界だ。つまり、まじめに修行していなかった人は、悪い世界に生まれ変わるぞ、と言っているのだ。
「みんなもそうなりたくなかったら、きちんとまじめに修行するように」
と話を締めくくった。
僕は、強烈な違和感と恐怖を感じた。周りにいる人達が、急にバケモノになってしまったような気がした。
彼らは「まじめ」な人たちだった。
彼らは真剣に修行していたし、人生についても、世界についても、筆者よりもずっと熱心に考えていたと思う。
だから「まじめ」というのは、「正常さ」を測る基準には全くならないと常々思っている。この先、
「この人はまじめだし、こんなに熱心なら、ちょっと話に乗ってみようかしら?」
などと思った時には、今回のルポのエピソードを思い出して欲しい。