なぜ夕張市では「うらやましい孤独死」が実現できたのか
「要素としては3つくらいあります。
1番大事な要素は、市民同士の絆があった。僕はこれを『きずな貯金』といっていますけど。
つまり、ケアでいったら、気にかけてくれる人が周りにいっぱいる世界だった。気にかけてくれる人がいるってベースがあるから、僕ら、医療や介護はものすごい楽だったんですね」
社会全体の成り立ちとして孤独になりにくい。今回の著書「うらやましい孤独死」でも書かれているように、孤立している市民が都会と比べ少なかった。そこに医療や介護がのっかれば、高齢者住宅によくあるような、医療も介護も潤沢に受けられているのに誰も気にかけてないというようなことは起こらない。
「気にかけてくれる人がいないと、幸せな最期にはならないんですよね。『きずな貯金』が潤沢にあるような社会は、離島や僻地、農村だと結構、多いですね」
だけど、筆者のイメージと反し、夕張は僻地だけどの農村ではなく都市型の構成だ。

夕張市の一角
夕張市は炭鉱が栄えていた時は、札幌市の次くらいの大都市だった。のどかな田舎ではない。畑などほとんどない。夕張メロンは有名だが、夕張メロン農家は100件しかない。アイヌ人も住めないくらいの山の中だった。北海道でも環境は厳しいエリアだ。雪の降り方も半端ないという。基本的に、人が住めないところに、石炭が掘れた。そこに炭鉱ができて、狭いエリアに10万人以上の人が移住してきたのが夕張市だ。
「夕張市は田舎は田舎なんですけど、めちゃくちゃ都会的な街なんですよ。昔は大都市で北海道のヤマハの営業所が札幌市よりも多かった。北海道で一番ピアノが売れたくらい。そういったところだったんです」
そんな夕張市は財政破綻で2007年に財政再建団体に指定されたことをきっかけに、事実上国の管理下に置かれた。医療制度も崩壊した。
「病院がなくなってしまった。だからその代わりにしっかりしたプライマリケア、つまり生活を支える医療を整備したということ。これが2つ目の要因ですね。」
3つ目の要因は死生観の変化だ。
「みんないずれは死ぬし、最期まで医療に頼っていると、あまりいいことはないということは分かってる。だけど、いざとなると助けてくださいって言っちゃうじゃないですか。そういう爺ちゃん・婆ちゃんがほとんどいなくなった。
正直、何で変わったのかは僕も分からないですね。だけど、言えることは、東京みたいな都市部や鹿児島とかにいる人たちと夕張の人たちは死生観が明らかに違いますね」
そのために森田氏をはじめとする医師は、死生観についての市民講演などは一切していない。在宅医療だったり、地域での看取り、家での看取りをやっていると、地域のつながりが強いところだから口コミで広がっていったのではないかと推測する。
「1年で30件くらい自宅での看取りがありましたが、狭い地域だから口コミが広がるんですよ。ものすごくいい最期だったと涙を流して語る人が多いので」
自宅で看取ると家族の満足度が非常に高い。そんな幸せな看取りの話が、口コミで広がっていったのだろうか。

