5月末に多摩川の河川敷にホームレス取材に出かけた。ちょうど非常事態宣言が明けた明けた直後だった。僕は20年ほどホームレスの取材をしているが、取材をはじめた当時は都内のホームレスと言えばかつては公園や駅舎、高架下などに暮らしていることが多かった。
1990年代末には、上野恩賜公園や新宿中央公園ではまるで村のような状態になっていた。
この頃は、一旦ホームレスになってしまうと、ホームレスが生活保護を受給することがむつかしかった。ホームレス生活を辞めたいと思っている人が大半だった。その後、生活保護受給のハードルが下がり、多くの野宿生活者たちはアパート暮らしをするようになった。それは悪い話ではないのだが、代わりに公園や駅舎で住むホームレスに対しては厳しい対策をとられるようになった。
現在、駅舎や公園を根城にしているホームレスは以前に比べるとずっと少ない。駅舎や公園に比べ、河川敷はあまり文句を言われず野宿生活ができる、ホームレスにとっては最後の楽園のような場所になっていた。河川敷は土地があるため、公園などに建てられていた小屋に比べると、はるかに立派な家が建てられる。ガソリンエンジンの発電機を持っていたり、テレビアンテナを立てていたり、大きな畑を作ったりと、生活の水準も高かった。
だがその楽園にも大きな災難が降りかかる。2019年10月に発生した巨大台風にで多摩川は氾濫直前の状態になってしまった。決壊した場所は少なかったが、ホームレスが家を建てていたエリアは完全に水没した。台風一過の翌日に取材にいったのだが、泥が堆積して足を踏み入れることもできなかった。長年取材してきた場所が、完全に崩壊しているのを見るのはつらかった。

今回しばらくぶりに訪れたが、テントや小屋の数はあまり増えていなかった。話を聞くと、ホームレス生活をする気力が折れ、福祉アパートに入る人も多いという。それでも河川敷を歩いていると、普通はあまりテントを建てない河川敷の中程に1軒建っているのを見つけた。普通はもっと目立たない場所か、橋の下の雨が当たらない場所に建てる。そこも確かに橋の下なのだが、鉄道橋なので隙間が空いているので雨よけにはならない。そして電車が通る時は、ものすごくうるさい。終電まではおちおち寝てられないだろう。テントもかなり貧弱なもので、いかにも即席で作られたものだった。
住人はテントの前で空き缶を潰し、ビニール袋に詰め込んでいた。ホームレスの人たちが最も多く営んでいるのが廃品回収業であり、その中でもアルミニウム製の空き缶を集めている人が多い。話しかけると、気さくな感じに「どうしたの?」と返事をしてくれた。
スラッとした体格の60代の男性だった。スポーツ用のタイトなTシャツにジーンズと、普通に街ですれ違ったら野宿生活をしているとは思わないだろう。小屋の前に停まっている自転車も、きれいだった。
「ホームレスになったの最近だよ。4月からだよ。だからホームレスについては全然分からないよ?」
と話す。なぜ、ホームレスになってしまったのかを聞くと、
「コロナ!! コロナのせいだよ!!」
と大きな声で即答した。
「ここから近くの居酒屋で働いていたんだよ。普通の店員。3月にコロナが流行って、お客さん全然来なくなっちゃったんだよ。商売あがったりで、店長が店を閉めちゃったんだ。店が閉まったらもうやっていけないよね」
彼は、特になんの保証も受けないまま、仕事を失ってしまった。
「すぐに次の仕事が欲しかったけど、コロナ禍でそもそも仕事が全然ない。ただでさえ60歳を超えてる俺に仕事なんてほとんどないしね。しょうがないから貯金を崩しながら生活したよ。でもほとんど貯金してなかったからなあ……」
日本人の60代の貯金の中央値は約1000万円だという。「老後の生活には公的年金に加えて2000万円以上必要」という説もある。だが彼の場合は、公的年金には入っておらず、かつ貯金は数万円しかなかった。貯金は一ヶ月で底をついた。「すぐに家賃が払えなくなって、家を出ることになっちゃった。前から河川敷でテント暮らししてる人を見てて、最悪ここに来ればいいかと思ってた。それで大事な物だけを持って河川敷に来た」

普通の人は「仕事がなくなったら、河川敷に住んで空き缶を集めて生活しよう」とは考えない。彼は、自分はギリギリの場所にいることを意識していたのだろう。そういうギリギリの場所で生きている人は、決して少なくない。「早くこんな生活辞めたいし、辞めるつもりだよ。でも仕事は決まらないしどうしたもんだか分からないね」と肩を落とした。
話を聞かせてもらったお礼に、サージカルマスクを手渡した。「ああ!! マスク欲しかったんだよ。どこに行っても手に入らなくて。売ってても高いしね。マスクつけてないと白い目で見られて、怒られたりするからね。すごい助かるよ、ありがとう!! ありがとう!!」と過剰なほどお礼を言われてしまった。なにか申し訳ない気持ちになった。
一ヶ月ほど後に様子を見に行ったのだが、テントはすでになくなっていた。その代わり、『警告 この場所は、京浜急行電鉄(株)の管理地です。この場所を占拠している方は二0二0年五月二十九日までに移動してください』と書かれた看板が立っていた。日付を見ると話を聞いた直後に立てられたようだ。男性がアパート生活に戻れていたら良いのだが、と思う。
コロナ禍はまだまだ続く。お店や会社が潰れてしまい、家を失う人もいるかもしれない。そうなっても、絶望せず、なんとか生き延びてほしい。
