【そして、役所の職員さんも含めたお芝居が始まる】
とても優しいY区のワーカーさんたちは、私を戸籍住民課に案内してくれた。「今からホームレスになってください」ってホームレスって実家があっても、なれるもんなんだととても驚いた。戸籍住民課では「住民票はホームレスなのでどこでもいいですよ」と言われる。「ホームレスの人って、住所どこにするもんなんですか?」と聞くと「役所が一番多いですね」と言われたので、Y区の区役所に住民票を移す。書類上のホームレス母子が誕生した瞬間だった。
そして、生活保護のワーカーさんに「田口さんの状況からして、母子生活支援施設に入所して、生活を立て直すのが一番だと思います。なので、保護される当日は、とにかく家がないと言ってください。田口さんは今から実家からも居候先からも追い出され、行き場がないホームレスです。手荷物だけ持って、お子さんを連れて役所の窓口にきてください」と言われる。
なぜ、そんなお芝居が必要だったかというと、母子支援施設というのは、入所の審査やハードルが高いからなのだ。DV相談実績や裁判所からの保護措置命令があるなど、必要書類がいっぱい。だけど、緊急で駆け込んできた母子に対しては、緊急保護措置がある。手元に戻ってきたばかりの病気の息子を抱えた私には、そんな手続きをしている余裕はない。なので、「お芝居で乗り切る」という提案をされた。
【緊急保護され母子生活支援施設へ】
当日は、打ち合わせ通り「家がありません」と息子とホントに少ない身の回りの荷物だけを持って、生活福祉課へ。事前に打ち合わせていたので、あっさりと母子生活支援施設へと連れて行かれる。もう17時を回っていたので、周囲は暗く、タクシーに乗りY区の母子生活支援施設へ向かう道がさっぱり分からない。どこに行くのか、母子支援施設ってどんなところなのか、全く分からない状態で、不安で仕方がなかった。
到着したのは、一見、普通のマンション。いや、はっきり言って、今住んでいるマンションよりよほど立派できれいなマンションです。職員さんたちに迎えられ、3LDKの緊急保護室(家具家電は全て完備)に案内される。
生活保護を受給するんだから、お金があっちゃいけない(実際は所持金ゼロ円である必要はない)と思った私は、現金をほとんど持っていかなかった。
その日の夜は、災害用のアルファ米を渡される。水でふやかすだけで食べられるお米、アルファ米。毎日食べ続けるのは厳しいし、子どもは食べなかったけれど、お腹はいっぱいになった。そして、ふかふかの布団に息子と眠ろうとしたとき、心底、ホッとした。この子と生活を立て直せるんだ。別居中、弁護士費用や身の回りのものを買うお金を稼ぐに必死だった私は、心身ともに疲れ切っていた。
翌日には生活保護支給の決定がされ、私と息子は新生活をスタートした。
【一番惨めだと感じたのは保険証がなかったこと】
生活保護を受給すると保険証は返還しなければいけない。私が自分は生活保護受給者だと思い知らされ、惨めだと感じたのは医療機関にかかるときだった。生活保護受給者は、医療券というものを発行され、生活保護受給者を受け入れてくれる医療機関でのみ受診できる。
例えば、家の隣にある小児科でも、そこが生活保護受給者を受け入れていなければ、受け入れてくれる遠くの病院まで行かなくてはいけない。役所にはその医療機関リストがあり、受診しようとすると、まずはケースワーカーさんに相談する。そして、医療券を発行してもらい、受診する。そこで露骨に差別されることはなく、どこの医療機関の先生も優しかった。ただ、保険証ではなく、医療証を差し出すときに、胸がチクッと痛んだ。
【生活保護を受給しながら起業する】
生活保護受給者が就職するために必要とする資格取得・技能習得費用については、資格取得費が臨時的に支給される。
詳しくは下記サイトを読んでいただきたい。
https://seikathuhogomanabou.com/sikakusyutokuhi/
私は大学を出ていること、正社員としてのキャリアがある程度あったこと、英語を話せることなどで、支給してもらえなかったけれど、必要な人には就職に必要な資格取得費用が出る。私の場合はそのかわり、知人が翻訳学校の学費を出してくれ、区は特例でそれを収入認定しなかったので、翻訳学校に通った。
また、驚かれると思うけれど、生活保護受給中だろうと、母子生活支援施設にいようと個人事業主として開業はできる。私は施設に入所して1か月ほどで、インターネット回線とゼロ円パソコンを使って、個人事業主として起業した。働きたくて仕方がなかった私、焦る私に、ワーカーさんは「働きだすことはいつでもできるから、今は息子君の側にいてあげることを最優先にしてください」と言ってくれた。
なので、在宅ワークでライターとして細々と仕事をするにとどめたけれど、のんきな私は「家賃(固定費)がかからないで開業できるなんてラッキー」と思った。その収入は収入認定されたけれど、着々と前進している実感が私の生きるパワーになった。
よく生活保護受給の話で、ワーカーさんが逐一チェックしにきて嫌味を言う…というようなことも全くなく、月1回ほどのワーカーさんとの面会は楽しみの一つだった。生活保護を抜けたらこんなことをしたい、あんな仕事をしたい、勉強が楽しい、息子がこんな風に成長した。そんなことを話すのが楽しかったのだ。
これはY区が役所の人材を福祉現場から登用するというシステムを取っていたのも大きいと思う。紋切型の対応ではなく、個人に合わせた支援(なければ特例を出してくれてまで)を提供してくれた。
「悔しくて悲しくて惨めで、だけどとても幸せだった生活保護受給者の話③ ~生活保護の即時廃止と泣いてくれた役所の人たち~」に続く