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  • 親を見て診断名を変える医師 ~発達障害の親たちに疲弊する医療現場~

    親を見て診断名を変える医師 ~発達障害の親たちに疲弊する医療現場~

    未診断のADHD(注意欠陥障害)とASD(自閉スペクトラム症)だった夫との間にできた我が子は、離婚訴訟を申し立てた筆者に対する元夫の未練から、人質として1年間元夫の実家で母と引き離されて暮らした。

     

    1歳から2歳までの間、母である筆者と引き離された息子は、1歳児までは全く問題がないと言われ育ったが、1年の間に不安定な子となっていった。

     

    2歳になる頃の東京での面会交流の際に発熱した息子。面会交流中にも、ひどいおむつかぶれや不審なあざ、喃語すら発さなくなった息子の育児状況を家庭裁判所に訴えても、全く理解されなかった中での面会交流だった。寒い冬の日、発熱した息子を抱え、近隣の大学病院に駆け込むこととなった。

     

    病院での待ち時間に、変わり果てた息子の姿に驚きを隠せなかった。病院の長い廊下を、高熱を出しながら、一時も休まずに走り続ける息子。階段をみつけるとひたすら走り続ける息子。何もかもが私の知っている1歳までの息子ではなかった。

     

    そうこうしているうちに、息子の診察の番となった。1時間以上の待ち時間、廊下で走り続けた息子は、診察室に入るなり、医師に向かって、靴ベラ、カルテなど、目についたものを笑いながら投げつけ始めた。筆者は絶句するしかなかった。

     

    その日、担当だったT医師に「ちょっとお母さん、この子は外の方に任せて、診察室から出してください!これでは診察できません!」と怒鳴られ、息子は外で待機していた、祖父に預けられた。

     

    2人になった途端、T医師は「お母さん、熱どころの話ではないですよ。息子さんの状態を見て、何もおかしいと思わなかったのですか?どんな環境で育てたのですか?場合によっては、児童相談所に通報するレベルの状態です!」と筆者を怒鳴りつけた。筆者自身が感じていた違和感、息子の変化、そして1年近く息子と筆者は引き離された状態であることを医師に説明した。

     

    T医師は筆者の話に納得し「息子さんは間違いなく、ネグレクトされています。絶対にご主人に返さないでください。息子さんは反応性愛着障害ですよ」と告げられる。反応性愛着障害(RAD)とは、別名、施設病と呼ばれ、特定の大人との愛着形成ができなかった場合に発症する「疾患」のことだ(以降、愛着障害と略す)。

     

    孤児の多い国やアメリカ、カナダなどの里子大国では、問題になっていた疾患であり、その症状は自閉スペクトラム症と酷似している。日本においても、最近では「愛着障害」は認知されてきているが、親が共働きで子と向き合えていない場合にも発症する。それなので、筆者は発達障害と診断されている子供の中には、愛着障害(疾患)と誤診されているケースがかなり含まれているのではないかと感じている。

     

    T医師は息子を絶対に元夫の元に返さないために、かなりの時間を割いて、筆者とその弁護士を交え、家庭裁判所が納得する意見書を書いてくださった。

     

    その時点でT医師は、まだ息子が発達障害なのか、愛着障害なのかの区別ができないと言っていた。ただT医師が診断したのは、息子ではない。母である筆者に対する育児への姿勢や考えの聞き取りに3時間ほど時間を割いた。筆者は回答しながら、本人である息子ではなく、母である筆者への聞き取りが中心の「診察」に疑問を持っていた。

     

    聞き取りを終えたT医師は「あなたの下でなら、息子さんは治ります!」と言い切った。発達障害は障害なのに、愛着障害かの区別もついていないのに、治る?筆者は医師に「なぜですか?なぜ、息子を診ずにそう言えるのですか?」と聞いた。

     

    自閉スペクトラム症の原因は議論が分かれているが、大きく分けて、環境要因説と遺伝要因説がある。T医師は100%環境要因説であった。なので、養育環境が変われば、仮に自閉スペクトラム症であったとしても、治るというのであった。

     

    そして、T医師は続けた。「私は裁判所あての意見書を書くことはしても、名前の開示は拒否します。お母さんと3時間に渡って話したのは、お母さん自身が発達障害ではないか、きちんとした判断ができる人かを見ていたからです。お母さんが中度~重度の発達障害だった場合は、私は診断名を告げなかったでしょう。そして、旦那さんは中度~重度の発達障害です。話が通じない可能性が非常に高いです。過去に発達障害(または愛着障害)との診断名を告げて、逆恨みされ、ストーカーとなった親御さんが数人いました。なので、名前の開示は拒否します」と。

     

    筆者が「では、発達障害の疑いで受診した児童の親が、中度~重度の発達障害で、話が通じなかった場合、どういう診断を下すのですか?」と聞くと、T医師は「発達障害を疑う親御さんがまず気づくのは、子が呼びかけに対し反応しないことです。ですので、親御さんに理解する力がない場合は、耳の障害の疑いということにし、耳鼻科への受診を勧めます」と答えた。

     

    筆者はその時、まだ発達障害というもの自体をよく理解しておらず、何て差別的な医師だと感じた。が、その後、多くの当事者やその親御さんと関わるうちに、それがただの差別ではないことを理解した。

    元夫が後々、裁判資料として提出してきた母子手帳の記載の意味が分かったのは、T医師の話を聞いた後だったからである。明らかに多動が酷く、喃語すら発さない息子の一歳半健診の結果には、聴覚の問題しか指摘されていなかった。筆者は子を引き取った後、住民基本台帳の閲覧制限措置をとり、元夫に新住所を隠した。その際に元夫はなぜか年金事務所に怒鳴り込み、住所を教えるようにと騒ぎを起こしたのだ。元夫の実家のある市区町村の年金事務所より連絡があり、筆者は年金番号の変更を勧められた。T医師は、そのような、ストーカー行為を恐れていたのである。

     

    しかし、それでは、中度~重度の発達障害の親を持つ子供は、適切な療育すら受けられないではないか。T医師の発言は非常に衝撃的だった。発達障害児に対し、国は早期発見、早期療育という方針を打ち出している。だが、現場で診断をする医師は、中度~重度の発達障害の親のクレームに怯えて、適切な診断名を下さないことがあるということだ。

     

    これは、T医師のみが言っていることでない。現在の息子の主治医は、国立病院の医師であるが、やはり「耳の問題として、耳鼻科に回す」と言うのである。

     

    適切な療育を受けられなかった子供は、療育の機会を逃し、最悪の場合、身体自立さえできずに育つことになる。今では偏見が和らいできた発達障害だが、筆者が産まれた1970年代には根強い偏見があったという。現在、40代以降の発達障害者の中には、自宅に隔離されて育てられているケースも多く、介助者である親が高齢となると行き場をなくす。介助者を失う。現在、ショートステイ施設は身体自立のできていない40代以降の発達障害者でいっぱいである。発達障害者問題は根深い社会問題だと感じた。

     

  • 「人をひき殺しても我が子の運転は止めない」という発達障害者の親たち

    「人をひき殺しても我が子の運転は止めない」という発達障害者の親たち

    筆者の元夫は未診断だったが、ADHD(注意欠陥障害)優勢の発達障害だった。

     

    これは当時の筆者の印象であり、もちろん本人は認めていないし、周りの友人や親から見れば「ちょっと変わった人」であり「ミスや忘れ物が多く、うっかりした人」といった程度の認識だと思う。幼い頃から学校の成績は優秀で、国立大学を卒業した後、地方都市の物流会社に就職が決まった。筆者と元夫が結婚したのは、就職が決まった頃であり、その頃にはなんの問題もない夫婦生活が続いていた。

     

    やがて元夫はルート配送の仕事に就くこととなり、朝から晩まで、顧客先にトラックで荷物を配送するようになった。その頃から、筆者たち夫婦の生活は狂いだした。

     

    トラックでの自損事故の連続。車をかする、ぶつけることは日常。ついには、人身事故を起こすようになる。年間で通算5回の自損・他損事故。筆者はまだその時、元夫がそんなに頻繁に事故を起こしていることに気づいていなかった。突然夫は、倉庫整理に異動が決まった。夫が勤める会社では倉庫整理は閑職であり、主に退職勧奨者が回される部署だった。まだ若い男性社員が配属されることはまずありえなかった。夫の異動に愕然とし、なぜなのかと問い詰めたところ、発覚した事故の回数だった。

     

    地方都市の山奥に住んでいた筆者夫婦は、日常の生活で車移動は必須であり、免許を持っていなかった筆者は、車を使用せずに通勤できる、街中への転居を検討しだした。そして、きちんと原因を知った上で、必要であれば転職し、生活を立て直そうと考えた。しかし、元夫本人は「自分はキチガイではない。だから、医師の診断は受けない」と受診することも、引っ越しすることも頑なに拒否した。それなので、義父母も踏まえての家族会議となった。

     

    しかし、義母は賛成しても、義父は「息子をキチガイ扱いするのか!」と激高し、診断や転居に猛反対した。だが、元夫はその時点ですでに1回、人身事故を起こしており、被害者は重いむち打ち症となり、1年以上の休職を余儀なくされていた。筆者が「あなたの息子である夫が、人をひき殺すことになってもいいのか」と問うと、義父は「事故など誰でも起こすのだから構わない」と答えた。

     

    その後も筆者夫婦は引っ越すことなく、日常生活を車で移動する生活を1年続けた。しかし、事故の都度、上がる車の保険料と子供を車に乗せるという恐怖。その都度、「診断する」「しない」と喧嘩となる。その頃には別の問題も生じていた。何度洗おうと「洗濯物が臭い」と洗い直しを求める、レポートの提出期限を忘れ、提出期限の前日深夜に資料を買い求め、書店を巡る。メモを取ると、メモ帳の保管場所を忘れる。その苛立ちからくる、日常的に小突く・髪をつかんで振り回す、蹴るなどのDVが始まっていた。

     

    その生活から逃れるため、筆者は子を連れて、実家のある東京に頻繁に帰るようになる。夫の病が何であるか、なぜ国立大学まで卒業した夫が倉庫整理にまで転落し、事故を繰り返すのか、筆者は専門家に助言を求めることにした。

    医師の答えは「恐らく旦那さんはADHD(注意欠陥障害)とASD(自閉スペクトラム症)を併せ持っている」というものだった。その当時、まだ発達障害という言葉は世間であまり知られた言葉ではなく、インターネット上の情報に頼り、どういった症状なのか調べると、元夫に対し感じていた違和感は氷解した。全てが夫に当てはまったのだ。

     

    我が子には遺伝していないだろうか、障害を受け入れない夫とは離婚以外に道がないのか、何度も悩んだが、筆者自身が元夫との暮らしの中でのDVと帰省を繰り返しているうちに、抑うつ状態となった。元夫は私の診察にはついてきていたが、自分は診察を受けない。数回目の診察の際に、医師から「今日は旦那さんがいらっしゃらないので言いますが、あなたの旦那さんは発達障害です。あなたはカサンドラ症候群です。ですので、あなたの症状は、旦那さんと離婚しない限りは治りません。離婚するしかありません」と告げられた。

     

    カサンドラ症候群とは家族やパートナーなど生活の身近にいる人がASD(自閉スペクトラム症)であることが原因で、情緒的な相互関係を築くことが難しく、そのストレスから不安障害や抑うつ状態などの心身症状が起きている状態を指す言葉だ。疲れ切った筆者は、その時に離婚を決意した。

     

    離婚の際には裁判にまで発展し、揉めに揉めたが、2年後に離婚が成立した。我が子にも発達障害があるのではないかという不安は頭から離れず、筆者は様々なSNSで、当事者及びその支援者のグループに参加することとなった。

     

    あるSNSで筆者は元夫の例を出し、問題提起をした。「多動性障害や注意欠陥障害などで、事故を頻繁に起こす自分の子供から免許を取り上げないのは、おかしいのではないか。また成人当事者の方はそれをどう考えるのか。私の元夫のような人が増えれば、発達障害者全体への差別が助長され、いずれてんかんの患者と同じように、免許も許可制となるのではないか」と。投稿したところ、いつもすぐさまにつく、コメント欄になかなかコメントがつかない。

     

    そして、ついたコメントは目を疑うものだった。多くの親や当事者は「発達障害者を差別するのか。発達障害者とてんかんの患者を一緒にした!てんかん患者と一緒にするな!」「自分はかする程度の事故から、人身事故まで年に数回起こすが、車を運転している限り事故を起こすのは誰でも一緒ではないか」「自分の子供は何度も事故を起こしているが、本人が乗りたがっているのに、免許を取り上げるのはかわいそうではないか」「運転免許を持つことは権利だから、人をひき殺したとしても事故なのだから仕方がない」「住居の自由は憲法でも認められた権利なのだから、引っ越す必要はない」といった身勝手なコメントが続いた。

     

    グループの中には当然、私と同様の考えの親御さんや当事者の方もいた。「頻度の問題で、頻度が高いようであれば、自主的に運転をやめるべきだ」「人を殺してまで運転する権利など誰も持っていない」「運転を控えている自分のような発達障害者にとって、事故率の高い人たちは迷惑な存在だ」といったコメントも当然出た。しかし、そういった声を上げる投稿者はごく少数だった。そして、そういったコメントをした人たちと投稿者の筆者は「差別者」としてグループから退会させられた。

     

    いったいてんかん患者や発達障害者を差別しているのは誰なのか。自分たちの権利を主張し、他害さえ良しとする身勝手さはどこからくるのか。筆者は激しい怒りを覚えた。

     

    その際に、グループ内にいた臨床心理士の男性から一通のメールが届いた。「あなたが書いていることは正論ですよ。だけど、彼らには通じません。なぜなら彼らは発達障害者だからです。当事者はもちろん、当事者の親ですら未診断の発達障害者である確率が高いですよ。黙って退会するのが正解です」という内容のものだった。

     

    そこから数年間、我が子の療育センター通い、親や介助者、当事者との関わりから、そのメールの意味が筆者に分かるようになっていった。発達障害者が社会で暮らすことで、一番のネックとなる特性が「コミュニケーション障害(ASDの場合)」という部分だと実感したからだ。

     

    筆者は確信している。このままいけば、近い将来、発達障害者が自動車を運転するのは危険だ、免許の取得は許可制とすべきだという声が世間から上がることを。

     

    そして、現在、筆者は離婚しているが、慰謝料・養育費は離婚後、一度も支払われていない。元夫は離婚裁判が終わった「お祝い」に高級なスポーツカーを購入し、ローンを全額残したまま、

    1か月で自損事故を起こし、廃車にしたからである。もちろん、事故率の高さから、車両保険は高額となり、保険には未加入だった。

  • 福祉電評「障害気づかず大人に 生きづらさを抱え続け 支援にどうつなぐ」 ~コロナ禍で浮き彫りとなる大人の軽度知的・発達障害者~

    福祉電評「障害気づかず大人に 生きづらさを抱え続け 支援にどうつなぐ」 ~コロナ禍で浮き彫りとなる大人の軽度知的・発達障害者~

    本日は、2020年11月10日放送 クローズアップ現代+(NHKオンデマンド)エピソード94 「障害気づかず大人に 生きづらさを抱え続け 支援にどうつなぐ」をご紹介する。

    昨今のコロナ禍による雇い止めや生活困窮で、支援窓口を訪れたことがきっかけで、自分の障害に気付く人が相次いでいる。

     

    番組冒頭で紹介されている及川さん(56歳 女性)は他人からは分かりにくい生きづらさを抱え、10回以上の転職を余儀なくされてきた。特に職場や日常生活の買い物で、素早い計算ができず生きづらかった。及川さんは56歳まで何の違和感も持たなかったわけではない。小学生の頃に、算数ができずに、普通学級から支援学級に行ったものの、その中では「できる子」であり、「努力不足」だと叱責され、普通学級に戻されてしまった。

     

    50代になり、自分が仕事を続けられない原因を探った結果、知能検査を受けるとIQ64という結果が出た。IQ70以下の軽度知的障害だと発覚し、自分の苦しさの原因が障害にあったことを知る。

    軽度知的障害の及川さんは、周囲と比べて、分かりやすく異なっているわけではない。だが、パン屋に就職した際には、商品名にカタカナが多く、覚えられなかった。商品を並べることができなかった。周囲からの目が痛く、退職を余儀なくされた。

    「怠けているだけではないか」とみられ、叱責されてきた原因が分かったのだ。もっと早く分かっていれば及川さんの人生は違うものになっていただろう。

     

    このように、コロナ禍において、アルバイトや派遣でギリギリの状態で生活を送れてきた大人が、就労支援窓口などで、軽度の発達障害や知的障害を持っていることが分かるケースが増えている。

     

    品川にある就労支援事業所では、コロナ禍を機に、テレワークなどの相談で相談者は3倍に増加した。その支援の中で、障害が発覚するケースが増えているという。

     

    なぜ中高年で発覚する人が多いのか。

    発達障害に関していえば、2004年に発達障害者支援法が制定され、2007年から特別支援教育が本格的に実施されている。若い世代では、発達障害の早期発見・早期療育がされやすい環境があるが、それ以前に産まれた世代は、障害が見過ごされてきてしまったという現状がある。

     

    では、法が整備された若い世代ではどうなのかといえば、やはり見逃されてしまう人が出てくるという。子の発達に不安を抱える親が、教員に相談しても「正常の範囲内」「育て方の問題」と言われてしまうケースも多い。

    そこには教員の障害に対する知識や専門性の差もあれば、保護者との信頼関係が崩れてしまうことを危惧するためらいがある。

     

    番組では、軽度知的・発達障害が見過ごされた結果、殺人事件の冤罪で、10年服役した女性のケースも紹介されている。自白を証拠として刑が確定したが、精神鑑定により、知的障害が発覚した。彼女は質問に対し、誘導されやすいという特性があったのだ。無罪判決が下ったものの、失われた彼女の10年は戻ってこない。

     

    専門家は「ギリギリの境界にいる」ことで努力すれば生活を送れる人もいることや、合併症(うつや不安障害などの精神科的な症状)があることで、その陰にある発達障害や軽度知的障害が見過ごされてしまうことが大きな要因だという。

    また、そういった大人たちへのアプローチには「困りごとを支援する体制作りから始めること」が有効であると語る。

     

    静岡県富士市では独自に作成した30項目のチェックリストにより、「できること」に着目することで、市内130ある協力企業へとつなぐ、独自の就労支援体制を作り出している。

    「業務の分解」と「周囲の理解」により、そういった困難を抱えた人たちも、就労していけるというケースが紹介されている。

    同質化ではなく多様な社会が求められている。

    弊社においても、障害者雇用は積極的に行っており

    「厚生労働省発表Q&A(https://qa-fukushi.com/)はその社員が作ったものだ。

     

    私も障害者雇用は「業務分解」に鍵があると思っており、グループホームの入居者様の就労先企業にも、積極的に提案していきたいと思っている。

     

    相談先一覧

    発達障害者支援センター

    http://www.rehab.go.jp/ddis/%E7%9B%B8%E8%AB%87%E7%AA%93%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1/

    精神保健福祉センター

    https://www.mhlw.go.jp/kokoro/support/mhcenter.html

     

  • 発達障害グレーゾーンの進路 ~選択肢が多くてもどこにもピタリとはまらない。二次障害を恐れる気持ち~

    発達障害グレーゾーンの進路 ~選択肢が多くてもどこにもピタリとはまらない。二次障害を恐れる気持ち~

    現在、筆者の息子に転校の話が持ち上がっている。

    息子は発達障害グレーゾーンの小学校2年生。

    年長の頃に就学相談の結果、区立の支援学級に進学した息子。

    1年生の頃は何の問題もなく過ごしていたけれど、2年生になり新たな問題が

    出てきた。

     

    息子の学校では1-2年生、3-4年生、5-6年生と2学年一緒に授業を行っている。

    1年生の頃、すでに2年生の内容が解けていた息子は

    2年生になり授業の物足りなさから、学校に行きたがらなくなった。

     

    そして、小学校2年生にもなると、手抜きも覚えればズルもする。

    大人の発達障害でも

    「本当はできるけどやらない」のか

    「本当にできないのか」かが周囲から分かりにくいことが問題となる。

    障害者雇用においても、周囲からの理解が得られにくい一番の理由は

    「努力不足なのか」

    「努力でどうにかなる問題ではない」のかが客観的に分かりづらいからだ。

     

    「障害特性としてできない」のであれば、努力でどうにかなる話ではなく

    根性論は二次障害のもととなる。

     

    だけど、「手抜きをしている。甘えている」からできないのであれば

    それは「できることはきちんとすること」というしつけの問題となる。

     

    そういった部分が支援学級に進学することで見えてきたことだ。

     

    例えば、体育の授業が苦手だから、着替えをしない。

    でも、それは「着替えの仕方が分からない」わけではない。

    支援学級であれば「障害特性として苦手なものを無理強いしない」

    で済んでしまう部分がある。

     

    だけど、いわゆる定型発達といわれる子どもたちは

    そういった苦手科目も渋々だろうが参加しているのが現実。

     

    親もそうだが、学校の先生も一番恐れているのは二次障害だ。

    どうしても本人がやりたくない・できないということに対し慎重になる。

     

    親の目から見ても、日々、移動支援で関わるヘルパー事業所の方から見ても

    「甘えからしない」ことが多い息子。

     

    そこで、今回、某都立小学校への転学の話が持ち上がった。

    環境も変え、支援はあるけれど、普通学級と同じカリキュラムをこなす学校だ。

  • 多摩川の河川敷で夫婦で暮らすホームレスにインタビュー。仕事、電気、畑を持っていても、それらは一瞬でなくなってしまう。

    多摩川の河川敷で夫婦で暮らすホームレスにインタビュー。仕事、電気、畑を持っていても、それらは一瞬でなくなってしまう。

    六郷土手駅から多摩川河川敷に向かうと、ゴルフ場がある。利用者は多く、クラブでゴルフボールを叩く、カーン!! カーン!! という音が響き渡っている。


    そのゴルフ場を通り過ぎて川に向かって歩いていくと、「道」を発見する。公にアスファルトで作った道ではなく、何度も誰かが歩くことによってできた道だ。
    少し緊張しながら足を踏み入れていくと、いくつものホームレスが住む家が並んでいる。

    キャンプのテントのようなものもあるが、多くは木で作られた小屋だ。ホームレス生活をしている人たちの中には、大工や、鳶職など建築業者に携わっていた人が多いので、とても器用に家を建てる。
    家は綺麗でも、家の周りは散らかっている所もある。金属回収で生計を立てている人が多い。だいたいはアルミ製の空き缶を拾ってきて換金しているが、中には銅を集めている人もいる。銅はアルミよりもかなり高いが、だがそうそう捨ててあるわけではない。
    工事現場に置いてあるコードリールなどをパクってくる人もいる。コードリールのママは買い取ってもらえないので、コードのビニル外装を剥ぐ。その剥がされた外装が山程捨てられていたりするのだ。

    大量のカップ酒の空き瓶で作った竈(かまど)もあった。ガラスの瓶なんて、そんなに竈に向いているとも思えないのだが、でも見た目はなんともかっこいい。

    ふと見ると、テーブルを囲んで男性4人がカードゲームをやっていた。
    まだ時間は昼過ぎだが、全員目が真剣だ。見れば、テーブルの上には100円玉がうず高く積まれている。

    「お話うかがえますか?」

    と聞くと、

    「うかがえるわけねえだろ」

    「あっちいけ」

    とけんもほろろに追い払われた。


    まあそりゃそうだわな、と肩をすくめながらより深くに進んでいった。

    建ち並ぶ家の中でも大きくて立派な小屋の前に椅子を置いて座り、木を組み合わせて何かを作っている60代後半のおじさんがいたので話しかけてみた。

    「俺はここにもう10年くらい住んでるよ。俺は空き缶はやってない。ここに住んでる人のほとんどが空き缶をやってるけどね。自分の場合は、週に3回くらい川崎の工場で働いてるから」

    ホームレス生活をしている人でも、廃品回収以外で収入を得ている人はいる。例えば、建設系の日雇労働の飯場に入って働く人は多い。何でも屋に雇われて、チケットや花見の場所などの並び屋をすることもある。
    だが、定職についている人は珍しい。

    「まあでもまともに働いてる人もそこそこいるよ。10人のうち……2~3人くらい? 俺もまあ、ギリギリまともかな、はっはっは」

    と笑う。

    「10年前はもっと大きな会社にいたんだよ。会社が潰れちゃってね。転職しようと思ったけど、50歳超えてたからなかなか仕事は見つかんなくてね。臨時の日払いの仕事に移行したんだ。収入はかなり減っちゃったけど、いたしかたない」

    ただ減ってしまった収入では、今まで住んでいたアパートに住み続けるのは厳しかった。

    「で、その時にここいらに引っ越してきたんだよ。たまたま知り合いがここらに住んでたんで、住めるって知ってたんだよ」

    多摩川に人が住んでいるのを知っていたとしても、実際に引っ越してくるとはなかなかすごい。
    ただギリギリまで追い詰められて河川敷に逃げてきたというわけではないので、お金や物品はある中で生活をはじめられたという。

    「まあ娯楽はないけどね。どうにか生活できるよ。楽しみったら……そうね畑くらいかな?」

    おじさんの指の先には2面の畑が広がっていた。マンション生活していたらなかなかできない贅沢なガーデニングである。

    「花なんか育てたって仕方ないから、食べ物しか植えないよね。こっちの畑にはロープを張って、枝になるヤツを育ててるの。キューリとか、ゴーヤとかね。であっちの畑は、大根とか根菜。
    その隣は、近所のアパートに住んでる人が耕してるね。生活保護もらってる人。まあ人に迷惑かけなきゃいいよな」
    まあ僕も問題ないと思うけど、ただ公的機関に文句を言われそうな気がする。
    「国土交通省や役所もくるよ。一応は説得してくるよ。生活保護もらって引っ越しませんか~? とか。まあ笑って、考えとくよって言うと、それ以上は言ってこない。
    10年くらい住んでるんだけど、家を長くは空けたことないの。1ヶ月も2ヶ月も誰も住んでいないってなると、勝手に取り壊されることあるんだよ。出張で飯場とかの仕事に入る人は、近所の人たちに『役所の人間が来たら、しばらく出稼ぎに行ってるって伝えてくれ』って伝えておかなきゃいけないね」
    役人も、いざ取り壊すとなると経費もかかるし、問題も起きるし、わざわざやりたくはないんじゃないかな? とおじさんは付け加えた。

    しかしそれにしても立派な家だ。
    僕は取材当時は8畳の1Kのアパートに住んでいたが、ずっと大きかった。

    「電気はあるんだ。発電機を置いてるからね。テレビもあるし、電子レンジもあるよ。冷蔵庫はずっと電気をつけていなくちゃいかんから、持てないね」

    と言う。驚いているとさらに、もっと驚く情報を聞かせてくれた。

    「実は一人で暮らしてるんじゃねえんだ。3~4年前にどっかのババア拾って来て一緒に住んでんだよ、はっはっは」

    と楽しそうに笑う。

    「うちのババア、道楽がねえから毎日、銭湯行ってるんだ。風呂屋の客みんなと知り合いになっちゃってさ。『今日はあの人が来るから行かなくっちゃ』だってさ。参っちゃうよ。俺も楽しみはないからさ。こうやって、昼間から酒をちびちびと飲んでいるわけだ」

    と、酒の入ったグラスをひょいと上げた。
    ちなみに、今日は午前中は工場の仕事で、帰ってきた所だそうだ。労働後の酒と煙草は何より美味いそうだ。

    「まあその日暮らしだけどね。もう70前だけど、それでも地道にやれば田舎に帰れるからね。あ、俺、年に一回は、田舎に帰ってるんだ」

    そう言えば僕はもう3年くらい実家に帰っていない。毎年帰るとはなかなかちゃんとしている。田舎の場所はどこだか聞いてみる。

    「沖縄だよ。いや遠くないよ(笑) 飛行機乗りゃ1~2時間だ。ここからは羽田空港も近いからさ。
    まだお袋も兄弟も全員元気だから。一ヶ月も電話しないと向こうから、必ず電話がかかってくるんだよ。心配症だよ」

    と言うと、胸のポケットから携帯電話を取り出してみせた。

    今までに何百人ものホームレス生活をしている人に話を聞いてきたけど、おじさんほど楽しそうに生きている人もいなかった。

    また話を聞きたいなと思っていたのだが、残念ながら2019年10月に発生した巨大台風のおかげで村は完全に水中に没してしまった。
    台風の後、足を運んでみたが、とても人が住めるような状況ではなくなっていた。
    おじさんが今どうしてるのかは、知りようがない。東京でも沖縄でもいいから、楽しそうに生きててくれればいいが、と思う。

  • あなたの死後、あなたのツイッターやフェイスブックのアカウントはどうなる? ~悪用されるのか? それとも永遠の墓標になる?~

    あなたの死後、あなたのツイッターやフェイスブックのアカウントはどうなる? ~悪用されるのか? それとも永遠の墓標になる?~

    読者の皆さんの多くは、ツイッターやフェイスブックなどのSNSのアカウントを持っていたり、ホームページやブログを運営しているだろう。人は誰でも亡くなる。亡くなった後にも、故人のアカウントは残る。
    その後、そのアカウントはどうなるのか?
    皆さんは考えたことがあるだろうか?

    そのような故人のサイトを10年以上に渡り追い『故人サイト』(社会評論社)の著書もある、古田雄介さんにお話を伺いつつ、考えていきたい。

    ツイッター社は2019年の11月末に
    『半年以上ログインしていないアカウントは削除する』
    と警告をした。だが世界中から
    「亡くなった人はもうツイートはできない。しかし故人を追悼する墓標として大事だ」
    と猛反発を食らった。
    ツイッター社はただちに
    「亡くなった人のアカウントを保護できるようになるまでは、計画は凍結する」
    と発表した。

    「ツイッター社が警戒したのは、休眠アカウントを悪用する人たちですね。アカウントを放置して、そのアカウントが犯罪に使われてしまった場合、運営側にバッシングが行くというのが最近の流れでした」

    運営側ももちろん“亡くなった人のアカウント問題”は考えていた。

    ちなみにフェイスブックには、亡くなった場合申請すると、運営側が判断してそのページを保護する「追悼アカウント」という機能がある。
    その後は誰もログインできなくなり、ダイレクトメッセージも見られなくなる。その代わり、亡くなった時点のデーターは公開したままになる。

    「『追悼アカウント』は2009年から11年やっているサービスですが国によって利用率が全然違うんですね」

    死後のプライバシーを研究してらっしゃる折田明子さんの2019年初めの調査によると、日本は追悼13.3%、67.7%が削除、アメリカでは追悼36.8%、削除が40.6%だった。

    「日本はアカウントを追悼のために使おうとする人はまだ少ないですね。
    また、実は追悼も削除もせずそのまま放置している人もいます。パスワードが分かればログインできますから、故人に代わってメッセージを書くこともできますし、本来は本人以外は禁止されているダイレクトメッセージを確認することができます。
    またツイッターは、チームでアカウントを管理することが認められているため、もちろんメインのユーザーが亡くなった後もアカウントが継続する場合もあります」

    現在はあまり追悼のためには利用されていない死後のSNSだが、時代とともに変化していく可能性も大いにある。
    以前は「オンライン葬儀」や「オンライン墓参り」に対する議論は、鼻で笑って終わる場合が多かった。
    「僧侶が読経してるのを、喪服着て正座して見るって、そりゃギャグかよ?」
    と思う人が大多数だった。
    だが新型コロナが広がってからは、急激に注目されている。

    「以前とは違い、まじめに向き合うようになりましたね。賛成にしろ、反対にしろ『ちゃんと考えなければいけないね』と意識するようになったと思います」

    有名人が亡くなった場合、その人のページが追悼の場所になるケースが多い。

    飯島愛さんの『飯島愛のポルノ・ホスピタル』は2008年に飯島さんが亡くなった後も、両親によって運営され続けた。2015年にブログは閉鎖されたが、亡くなる直前に書かれた記事には7万件以上の追悼のコメントがついていた。

    現在進行形では、2013年に亡くなった桜塚やっくんさんの『桜塚やっくんの見ないとがっかりだよ!!』のブログには未だに書き込みがある。最後の記事のコメントはなんと9万件を超えている。

    同じような例としては、若くして亡くなったアイドルのアカウントに、ファンが集い書き込みをする様子を見ることもできる。

    「そういうアカウントはたくさんあります。ファンにとって故人のアカウントは、お墓なのか、仏壇なのか……ひょっとしたら日本の神道の神様に近いのかもしれませんね」

    ただ、やや行き過ぎる場合もあるという。 例えば亡くなった人のツイッターアカウントのスクリーンネームの争奪戦だ。
    スクリーンネームとは名前の下にある「@●●●」という部分の@以下の文字数字の組み合わせだ。もしスクリーンネームが削除された場合、他者が自由に使えるようになる。

    「たとえば自殺の様子を配信した人が残していったようなスクリーンネームはいずれ家族によって削除される場合が多いです。その削除の瞬間をずっと待っている人がいます。
    スクリーンネームが削除された途端に、自分のスクリーンネームとして登録して、その後『亡くなった人の形見』のようにして運営し続けます。気づいた人に、
    『不謹慎じゃないのか?』
    と怒られることもあるようですが、本人はいたずらな気持ちだけで運営しているわけではないと反論します。
    良し悪しはひとまず置いておくとして、たかが文字列にそこまで強い思い入れがある、というのに驚かされます」

    古田さんが、故人のサイトを調査し始めてすでに10年以上が経つ。他の業界に比べて、IT業界の変化は異常に早い。ずいぶん大きな変化もあったという。

    「2005年頃はまだ個人情報をあけすけに載せている人が多かったですね。最近では、なるべく隠す人が増えてきました。
    若者はさらに、インスタグラムのストーリーや、フェイスブックのストーリーズと言った、自分が選んだ相手に、24時間だけ見せられる、という機能を利用している人が増えています。彼らは、日常的なつぶやきは“消えるサービス”で行い、誕生日や記念日などハレな日だけはちゃんと投稿します。
    彼らが亡くなった後は、ハレの日のツイートだけが残りやすくなっています。それが現在の動きですね」

    人間はいつ死ぬかわからないし、これからもSNSやブログの世界は、どんどん新しい機能が追加され、規則や規約も変化していくだろう。だからあまり悩んでも意味はないだろう。
    でももし記事を読んで気になった人は、少しだけ自分の死後にアカウントがどうなるのか、シミュレーションをしてみてもいいかもしれない。

  • HIVウイルスの感染者が残された日々を過ごすホスピス ~タイ国のエイズ寺に“死体”が展示してある「優しい」理由~

    HIVウイルスの感染者が残された日々を過ごすホスピス ~タイ国のエイズ寺に“死体”が展示してある「優しい」理由~

    2018年に、タイに取材旅行に行った。

    タイの北部の街ロッブリーに、「死体が展示してある博物館」があると聞いて、足を運ぶことにした。目的地は、パバナプというお寺だった。ガイドが運転する車に乗りバンコックからひたすら北に進んで行く。市内は交通量も多いがしばらく走るとすぐに田舎になる。3時間以上ひたすら走る。車窓から見える畑に見飽きた頃、やっと目的地に着いた。敷地内に入ると、大きい文字でHIV+やAIDSなどと看板が出されているのが目についた。

     

     

    「なんで、エイズ?」と疑問に思っていると、ガイドに「とりあえず、まずは寺院を参拝しましょう」と言われた。頭にクエスチョンマークを浮かべたまま、自動車から降りる。想像以上に立派なお寺だった。まずはかなり急な階段を上らなければならない。階段には灯篭を持つ人形がズラリと設置されていた。人形の上をピョンピョン何かが飛び回っていた。

     

    「この地域は猿が多くて有名なんです。帽子やアクセサリーを盗んでいく猿もいるので気をつけてください!!」ガイドに言われて、慌てて帽子やら何やらをかばんにしまった。

     

     

    階段の上には、青空のもと、大きな白い仏像が設置されていた。その横を乳の張った大きい野良犬がフラフラと歩いている。そこから、またしばらく登ってやっと寺院が現れた。日本の地味な色彩の寺とは違い、赤と金で塗られたきらびやかな建物だった。日本では派手すぎるが、タイのサンサンと太陽が照りつける中に建つ寺院は、ごく自然に見えた。

     

    寺院の中には座禅を組む僧侶がいて、僧侶の周りにはたくさんの供物が積まれていた。施設の周りには、日本の寺ではあまり見ない派手な像が並んでいた。ただ、少し歩くと近代的なビルが建っているのが見えた。実は取材のアポイントメントは取っていたので職員に伝えると、細身の女性が現れガイドしてくれることになった。

     

    建物の入り口部分には大小の犬がだらりと寝ていた。そっとまたいで中に入る。一階部分は広いフロアにズラリとベッドが並んでいた。半分くらいのベッドには人がいてダラダラとすごしている。

     

    「ここにいる人達はHIVウイルスに感染しています。このホスピスで、残された日々を過ごしています」と、女性が教えてくれた。また、女性は「私も、感染しています」と言った。ボランティアとして働いているそうだ。 室内にクーラーはなかったが、大きな扇風機で風が送り込まれていて、それだけでずいぶん快適だった。ベッドで過ごしていた20代の男性に話を聞いた。HIVに感染したことは、とても残念だが、この施設自体は楽しくて不満はないという。

     

    「今は100人以上の方がこの施設にいます。入居者は基本的に、無料で絶命するまでこの施設に住み続けることができます」と言った。先にも語ったが、全ては寄付金で賄われている。募金箱にはたくさんの紙幣が入っていた。寄付するために、この施設まで来る人も多かった。もちろん寺に参詣する人も多いが、この施設にある『生の博物館』を見に来る人も多いという。つまり冒頭で書いた「死体が展示してある博物館」だ。博物館の前には、たくさんの人形が並べられていた。病的でグロテスクな形をしている。

     

     

    説明書きを読むと「亡くなった人の遺骨を粉々に砕いて、それをロウに混ぜこんだ物で制作している」という。衝撃的な材料である。館内に入ると、明るく、風通しが良かった。ジメッと暗い、お化け屋敷のような雰囲気ではなくホッとした。館内にはやっぱり、犬がいてダラダラと過ごしていた。ケージがあり、なかにはミイラが入っていた。ミイラにしたというより、放置しておいたらミイラになってしまったという雰囲気だった。

     

    ガラスケースには赤ちゃんのミイラが二体展示してあった。母子感染で亡くなった子供だという。おそらく身分が高かったであろう人の写真の後ろには、全身の骨格が堂々と飾られていた。逆側の入り口にはガラス張りのショーケースが二台あり中にはミイラがあった。大柄な男性のミイラの保存状態は悪く粉をふいていた。「こちらはカッティングボーイです」とミイラを指差して言った。

     

    胸が不自然な形でひしゃげている。どうやら整形手術で胸を膨らませた跡のようだ。男性器は見えなかったが、切断しているそうだ。つまり“カッティング”ボーイなのだ。タイはいわゆるレディーボーイがたくさんいる。ゲイの性風俗はエイズの温床になっている。立派な仏像が設置されていたが、その周りには大きな白い袋がたくさん積まれていた。それらは全て亡くなった方の遺骨だという。その量を見るだけで、いかにこの施設に頼り、この施設で亡くなった人が多いか分かった。

     

    実際に死体を目にすると、ずっとエイズを身近に感じられた。死体を展示するというのは、日本にはあまりないが、だが根っこの部分には生に対する尊重があると思う。だが昨今、主にヨーロッパの人たちからのクレームが来ることがあるという。不適切だから、展示をやめろという圧力をかける場合もある。自分の嫌なことは許せないという、エゴを感じる。

     

    この施設は、完全にボランティアでエイズ患者を救済している。つまり人が来なくなったら、それだけ収入が減り厳しくなる。この施設が潰れるということは、遠回しの殺人行為だとも言えるだろう。

  • 「殺してやる!」と脅されても無罪! ~SNSの誹謗中傷。「自称 被害者」はただの加害者。責任能力もなかった!~

    「殺してやる!」と脅されても無罪! ~SNSの誹謗中傷。「自称 被害者」はただの加害者。責任能力もなかった!~

    筆者が身に覚えのない風評をSNS上で立てられたのは10年前に個人事業主をしていた頃である。

     

    某SNSで書かれた詐欺師!商品を購入したのに受け取っていない!などの中傷の言葉だが、筆者に全く覚えはなかった。

     

    当時、商品の発送に関しては、メールをプリントアウトし、丁寧に行っていたし、発送商品が届いたとの確認メールも受け取っていた。

     

    だけど、日々、書き続かれるデマの数々。

     

    筆者は当時住んでいた県の「都道府県警察本部のサイバー犯罪相談窓口」に相談し、そこから所轄警察に被害届を出した。

     

    しかし、警察はハナから乗り気ではなかった。インターネットで長期に渡り誹謗中傷を繰り返す人は、ネットユーザー全体の0.5%に過ぎないという統計があるほどなので多いように見えても実際に行う人は少数なのである。警察がいうには「そういう人には責任能力がない場合が多い」からだ。

     

    つまり警察が起訴しても、責任能力がないので不起訴となる。警察はそれだからあまりやる気にならない。

     

    (平成30年版 犯罪白書 第2編/第2章/第3節 2-2-3-2図 起訴・不起訴人員等の推移

    http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/mokuji.html

     

    しかし、身体的な脅迫となると話は別だ。ついに「殺してやる!」というメールがきたのだ。

     

    そして、その人物に対するIPアドレスの開示請求が通り、容疑者が特定された。しかし、結果的に相手は統合失調症の患者(親の談)であり警察からは注意の電話がいったのみである。犯人は私のお店の商品を買ったこともなく全く筆者と関係ない人物だったのだ。

     

    しかし、その「偽被害者」の書き込みを信じた周囲の人たちがそれを事実だと信じ、シェア・拡散を繰り返し、結果的に筆者は自殺を考えるまで追い込まれた。

  • スマートフォンが開けないだけで数百万円を失ってしまう可能性もある。『デジタル遺品』の実情と効果的な対策を考える。

    スマートフォンが開けないだけで数百万円を失ってしまう可能性もある。『デジタル遺品』の実情と効果的な対策を考える。

    年々、デジタル機器を使用する人は増加しており、最近ではお年寄りでもスマートフォンを使用している人は増えた。現金ではなく、スマートフォンで支払いをする人も多い。交通系ICカード、WAON、PayPay、LINE Pay……とそれぞれが、自分の好きな支払い方で会計を済ませている。現金での支払いよりも時間もかからず、小銭もたまらないので、便利がいい。

    スマートフォンはとても個人的なモノなので、家族でも見る機会は少ない。自分の両親や兄妹が、どんなアプリで支払いをしているか、どんなネットバンクに貯金をしているのか、知らない人も多いだろう。もちろん、普段はそれで全然かまわないのだが、いざ持ち主が亡くなってしまった時に大いに困ることがある。

     

    今回は『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)、『ここが知りたい! デジタル遺品 デジタルの遺品・資産を開く! 託す! 隠す! 』(技術評論社)の著書がある、古田雄介さんに『デジタル遺品』の問題点と対策について伺った。

     

     

    「まずこの手の話をする時に、わざと相手をビビらせる人がいます。柳の枝を、オバケだぞ!! と言って相手を脅すわけです。でも実際、話はそれほど複雑ではありません。基本的には、今までの遺品のデジタル版に過ぎません」

     

    今までは印画紙に焼いてアルバムに挟んでいた写真が、デジタル写真になりパソコンのフォルダに収められている。紙の貯金通帳が、スマートフォンのアプリになっている。それだけだという。では、一番の問題点はなんだろうか?

     

    「デジタル遺品は“見えにくい”というのが一番の問題です。まず使っていない人から見たら、スマートフォンはナゾの道具でしょう。どうやって開いたらいいのか、何を操作したらいいか分かりません。開くことすらままならないでしょう。これが唯一にして最大の問題点です」逆に、視覚などが不自由な人が使用しているスマートフォンは、健常者にとってはナゾの道具になってしまう場合もある。どのようなサポート機能を使っているのか、わからないからだ。

     

    「そして、まだデジタルが広がって四半世紀も経っていません。だから業界全体にノウハウが蓄積されていません。いざという時に誰も助けてくれない。法律でもサポートされていない、ということがたくさんあります」

    遺品の問題で困るのは、遺された家族だ。死はいつ何時、誰に襲いかかるかは分からない。だから、あらかじめ自分たちで自衛対策を立てて置くほうが良い。具体的に言えば『見える化』しておく。

     

    「僕が、デジタル遺品に関わるようになって10年になります。数多くの相談を受けてきましたが、8割は『パスワードが分からなくて開けない』というものでした。そしてそのうち9割が対象がスマートフォンでした」

    スマートフォンのロックは、非常にセキュリティが固い。家族がキャリアに問い合わせても、パスワードなどは答えてくれない。何度も入力ミスをすると、中身が消えてしまうという機構があるスマートフォンもある。

     

    アメリカでは、FBIがアップル社に対したびたび犯罪者が使用していたiPhoneのロックを開けるよう申請したが、アップルは事実上拒否している。「犯罪捜査目的でもあっても、プライバシー侵害につながる秘密の使い方は提供しない」という姿勢は、とても信頼がおけるが、遺された家族にとっては大きなダメージがある場合が多い。

     

    例えば、LINE Payには100万円、PayPayには500万円貯めることができる。スマフォが開けないと、遺族が存在に気づくのは難しい。諦めて電話を解約すると、電話番号は3ヶ月ほどで再利用される。新たな契約者がLINEをはじめると、前の人のアカウントは消滅してしまう。たとえLINE Payに残高が残っていても初期化されてしまうのだ。このような形で、消えてしまったり、塩漬けされてしまった、遺産はかなりたくさんある。

     

    「とにかく、スマートフォンを開けることさえできてしまえば、ほとんどの問題は解決します。どんなアプリ、銀行、ネットショップを使っているのか分かれば、直接問い合わせることができます」それでは、どのように家族にスマートフォンのパスワードを知らせればよいのだろうか?

     

    「単純ですが『紙に書いておく』というのが一番効果的です。ただし、セキュリティー的には問題がありますね。死後は見られても仕方ないけど、生きている間には家族にもスマフォの中身を見られたくない人もいいでしょう」

    古田さんがおすすめする方法は、圧紙などにパスワードを書き、それを修正テープで二度貼りするという方法だ。こうすれば普通には見えないし、死後はスクラッチカードの要領でこすればパスワードを読むことができる。覗き見たら分かるから、パスワードを変更すれば良い。

     

     

    この紙を、自分が亡くなったらまず家族が最初に見るであろう『紙の通帳や実印などが置いてある場所』などに置いておけばよい。知らない間に、数十万~数百万円も損をしてしまう可能性もあるデジタル遺品問題。先送りにせず、今対策をとっておけば、将来助かるかもしれない。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/B083Q9JFQ9/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_CeJEFb617C8BM

    https://www.amazon.co.jp/dp/B074K4N2HB/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_efJEFbWHTH5VD

     

     

     

  • 【東京23区】障害児者が住みやすい街ランキング 福祉サービス充実度アンケート ~あなたの回答でマップができます!~

    【東京23区】障害児者が住みやすい街ランキング 福祉サービス充実度アンケート ~あなたの回答でマップができます!~

    マイノリティにとってどれだけ福祉サービスが得られるかは大きな問題。だけど、障害児者が住みやすい福祉サービスの充実してるエリアの情報は出ていません。サービスがあっても利用できなければ意味がない。

     

    そこで、以前から告知していた【東京23区】障害児者が住みやすい街ランキング福祉サービス充実度アンケートを開始します!

    下記、個人情報取り扱いに関し、同意された方のみ、ご回答お願いいたします。

    【東京23区】障害児者が住みやすい街ランキング福祉サービス充実度アンケート

     

    回答は令和2年10月31日(土)まで!

     

    支援者の方も当事者(身体、精神、発達、難病含む)の方も親御さんもご回答ください!

     

    この結果を集計して、マップを作る予定でいます。東京を皮切りに全国に拡大していきます。

     

    持っている障害や病気は変わらなくても、住まいによって幸福度は大きく違います。住まいを変えれば人生も変わる!自分が住んでいるところにはこんなサービスがある、いや、ない。どんなことでも書いてください!

     

    ご協力お願いします。

  • 【再掲】「せん方がいいよ。死ねなかったら余計にしんどい」 ~経験者が語る自殺未遂とその後遺症の怖さ~

    【再掲】「せん方がいいよ。死ねなかったら余計にしんどい」 ~経験者が語る自殺未遂とその後遺症の怖さ~

    今回は、現在、ヒーローズ岸和田(大阪の障害者向けグループホーム)名波さん(仮名 41歳 男性)の取材をさせていただくことになった。

     

    名波さん(仮名 41歳 男性)

     

    名波さんは全般性不安障害の診断を受け、2020年2月から、グループホームで生活している。小太りの体に優しそうな表情をしているが、取材の中に不安げな、神経質そうな表情も見られた。小さい頃から、色々なことに不安を持ちやすい性格だったという。

     

    ヒーローズ岸和田の管理者である白井孝明さんが同席の下、和やかな雰囲気の取材だった。

     

    管理者の白井孝明さん

     

    ヒーローズ岸和田では、名波さん以外に精神障害の方と発達障害の方が共同生活を送っている。名波さんは大阪府の豊中市で産まれた。白井さんによると、北部にある豊中市はハイソな高級住宅地だが、大阪南部の泉州と呼ばれる岸和田市は、だんじり祭りで知られるように、命をささげるほど祭り愛が強いざっくばらんな土地柄だという。

     

    名波さんは、今年の2月からグループホームに入居して、生活保護を受給しながら自立に向けての一歩を歩み始めたばかりだ。その生活は、それまでの人生はどういったものなのかをうかがわせてもらった。

     

    【安心できる居場所がなかった小中学校時代と父の蒸発】

    全般性不安障害とは、慢性的な不安症状が長くつづく、従来の不安神経症の診断名です。原因は一般的に、ストレス、心配事、何らかの精神的ショックなどの心理的要因だと考えられますが、実際にはそのような出来事がなくとも日常生活上の様々なストレスを背景に、いつのまにか発症しているケースが多いです。症状の一例としては、慢性的な不安、緊張、頭痛、動悸、めまい、不眠などがあります。
    (引用:HOSITA.JP https://www.hospita.jp/disease/1691/

     

    「小中学校時代は、両親の喧嘩を見て過ごしました」名波さんが中学生の頃、父親は蒸発している。生まれ育った家庭は、安心して過ごせる場ではなかった。

     

    「小さい頃から何かと不安を抱えやすい性格でした。家庭の影響はあると思います」父がいない暮らしの中で、大学進学は早々に諦めた。

     

    精神疾患や精神障害を抱える人の幼少期の話を伺うと機能不全家庭であったり、親が不仲だったりと幸せな幼少期を送っていないケースを多く見かける。成育歴はその後の人生に大きな影響を及ぼす。

     

    名波さんのメンタルも幼少期から不安定だったようだ。

     

    ◆自殺を考える前に相談しましょう!解決策はあります!

    こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(おこなおう まもろうよ こころ)

  • 財閥系企業の役員が語る企業の本音 ~なぜ障害者雇用は進まないのか。精神・発達障害者の雇用の難しさ~

    財閥系企業の役員が語る企業の本音 ~なぜ障害者雇用は進まないのか。精神・発達障害者の雇用の難しさ~

    本日は、某財閥系企業子会社の役員をしている金田さん(仮名・50歳)に障害者雇用の現状について伺った。

     

    会社役員,男性,手

     

    金田さんは食品系卸会社A社の営業部の役員だ。人事委員会(人事全般の方針を決定する組織体)のメンバーであり、プロパー社員代表として、親会社に物を申す立場でもある。そして、金田さんの親しい友人にはうつ病の人もおり、精神疾患への対応も比較的慣れているといえる。

     

    A社は派遣社員も入れると530人弱、正社員だけで420人超の、会社法でいう「大会社」である。障害者雇用促進法では、従業員45.5人以上の民間企業は、全従業員に対する2.2%の障害者を雇用することが義務化された。単純計算すると、A社の場合、11.44人の障害者を雇用する義務がある。その人数を雇用できなければ、不足1人あたり月額5万円の罰金を支払うことになる。A社には現在、軽度障害者が2人勤務しており、10月以降にはもう2人採用する予定でいるが、今のところは罰金を支払い続けている。

     

    障害者雇用対策について,厚生労働省,グラフ

    障害者雇用対策について,厚生労働省,グラフ(図:厚生労働省 障害者雇用対策について https://www.mhlw.go.jp/content/000581102.pdf

     

    厚生労働省の発表によると2018年の民間企業の雇用障害者数は53万4,769.5人、対前年7.9%(3万8,974.5人)増と15年連続で増えている。実雇用率は2.05%と対前年0.08ポイント増となり、こちらは7年連続で増えている。法で義務化されても、人数を満たせていないのが現状だ。

     

    【なぜ身体障害者ばかりが採用され、精神・発達障害者は採用されないのか】

    会社役員,男性,上半身

     

    率直に伺うとこんな答えが返ってきた。
    「私は身近な人がうつ病になったことで精神疾患への対応の経験もあり、偏見は0とは言えませんが、少ないほうだと思います。身体障害者なら、できること・できないことが見えやすいですが、精神・発達障害者に関しては、その症状が理解できずどう接していいか分からないのが大きいと思います」

     

    A社では障害者の採用にあたり、人事部から各事業部にどんな人材なのかがメールされてくるという。しかし、当然のことながら、障害により「できないこと」が書いてある。

     

    部下にその条件を伝えて、何かできる仕事がないか聞いても、「ない」という答えが返ってくる。

     

    「うちの部署は営業部といっても、パソコンに向かって仕事をする日が4日ほどあります。なので、パソコンを使える人なら、仕事を分解すれば、できる仕事は結構出てきます。部下たちには、障害者全体に対し面倒だという感情があると思います。なぜ、うちの部署で面倒ごとを引き受けなければいけないのかという気持ちがあるので、部下たちは積極的になりません」

     

    金田さん自身に、採用したい気持ちがあっても、偏見は根強い。そして、障害者を採用した際に、直接、仕事の指導に当たるのは自分ではなく各担当者だ。そのため何らかの問題が発生した際に部下たちから不満の声が上がっても、説得できる自信は金田さんにもない。